事件への関わり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/09 08:02 UTC 版)
1989年、麻原の指示により男性信者殺害事件に関与。男性信者Tを羽交い絞めにした末にロープで絞殺する手筈であったがTの抵抗に遭い、慌てた末に新実がTの首の骨を折って殺害してしまう。元信者によると、Tが姿を消した頃、新実は周りから見てもひどく動揺し、いつもの明るさが消え思いつめたような表情をしていたという。新実が茫然自失に陥り、後悔の念を上げていることを知った麻原は、新実にヴァジラヤーナの祝詞を伝授し、これを数万回唱えさせた。 『ここに真理がある。そしてその障碍(しょうがい)するものを取り除かなければ、真理はすたれてしまう。しかし、障碍するものを取り除くとしたならば、それは悪業、殺生となってしまう。私は救済の道を歩いている。そして多くの人の喜びのために多くの人の救済のために悪業を積むことによって地獄へと至るとするならば、それは本望だろうか。私が救済の道を歩くということは、他のために地獄にいたってもかまわないわけだから、本望である』 続いて、坂本弁護士一家殺害事件の実行役に指名され、坂本家に侵入し、坂本の妻(当時29歳)らを絞殺。坂本弁護士一家殺害事件の際にも精神的に不安定になり、山に死体を埋めにいった時には、新潟の海岸でひとり呆然としていたり、「もう死体と一緒にひとりで長時間いるのはごめんです。なんか気が変になってきそうや」と言ったという。だが中川智正や端本悟とそれぞれ5日間独房に監禁されたり、麻原から与えられた「悪業によって地獄に至っても本望だ」などという詞章を数万回唱えるなどして洗脳され、その後、数年間教団の信者の指導、監督、スパイ、拷問などを担当、苦しませるのを楽しんでいるような雰囲気すら持つようになっていった。 1990年、真理党の敗北により麻原は大規模テロを指示。新実もボツリヌス菌テロ計画に関与し、北海道で土壌を採取したり、実験用マウスを購入するなどして協力。浄水場付近に散布していた際に警察に検挙されたこともあった。 1990年4月、石井久子の命令で、石垣島セミナー取材中の江川紹子を数百人の信者が取り囲む。更に、棒を持った新実が江川に付きまとい、体を押したり、「夜道に気をつけろ」「月夜の晩ばかりではないぞ」と古風な文句で脅した。 1990年7月8日、26歳のときにマハー・ムドラーの成就を認定され、正悟師となる。 1992年9月教団のロシア進出に伴い、オウム真理教モスクワ支部の初代支部長を務めながら頻繁に日本との間を往復する。 1993年の池田大作サリン襲撃未遂事件では第2次攻撃で防毒マスクを外したせいでサリンを大量に吸引し重体に陥り村井秀夫、遠藤誠一から人工呼吸を受けオウム真理教附属医院に搬送され、治療の結果一命を取り留めた。 1994年1月30日、薬剤師リンチ殺人事件に関与。被害者の薬剤師男性の処罰について「帰すと被害者の会やマスコミに話したりするのでポアしかない」と殺害を支持し、手渡したロープで加害者Yに井上ら数名の男性幹部に羽交い絞めにされた薬剤師男性を絞殺させた。
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