4代目 服部半蔵正重
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 06:11 UTC 版)
2代目正成の次男で、3代目正就の弟。兄の改易に伴い慶長10年頃、服部半蔵(服部石見守半蔵)を襲名する。徳川秀忠の小姓や家康の近侍を務め、大久保長安の長女の娘婿となり佐渡金山同心を務めた。大久保長安事件への関わりはないと沙汰されたが別件で改易となり、村上義明に身柄を預かられて以降29年間、晩年まで村上家・村上藩堀家に二千石で召し抱えられた。晩年、村上藩が一時廃藩となった後は桑名藩に招かれ、高齢にも関わらず松平定綱に二千石の上席年寄の身分で召し抱えられた。正重の二人の息子も部屋住みとして桑名藩に仕えた。これにより、服部半蔵家は桑名藩の家老職家として明治時代まで存続した(大服部家)。 名は長吉、官位は伊豆守。桑名で左太夫(左大夫)と名乗る。慶安5年5月27日(1652年7月2日)没。法号は清流院殿澄性日浄大居士。 なお、正重の兄・正就の妻は桑名藩主松平定綱の姉であり、その子である服部正辰(正重の甥)らも桑名藩に仕えている。血統から藩主一族の扱いを受け、服部半蔵家以上に優遇されている(小服部家)。 詳細は「服部正重」を参照
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