家老職
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本来は学問の道に進んだ萬里であったが、父の帆足通文と同じく、帆足萬里は日出藩家老として財政再建に着手した。これは日出藩13代藩主の木下俊敦の要請によるものである。 約3年の家老職を辞して後、門弟の関焦川、その後も同じく門弟の米良東喬が日出藩の家老を務めおり、政治においても日出藩における帆足萬里の残したものは大きかったと言える。 また日出藩13代藩主:木下俊敦が萬里を家老に据えており、特に萬里に対する信頼が厚く重用した人物である。また15代藩主:木下俊程も萬里の著した『西崦遺稿』の序文を書き、木下俊程自身の文集『豊衡山存稿』も同序文が含まれていることから、学問と政治の両面における深い繋がりがあった。
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家老職
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家老は平時においては、毎月交代で出仕し日常決済を行った。その当番者を用番といった。主に古法・前例に照らして逸脱がないかを判断した。通常の布達は担当家老職名で行い、重要案件では中老・奉行の各職とともに評定役を構成した。役高1000石(知行700石の家老は不足分を100石につき50俵の御足米すなわち150俵支給)。家老職見習は出役御免(出仕免除だが惣領分として300石支給)。ただし、見習でも出仕して用番を務めれば500石支給。 また、家老は軍事面では大組の組頭(侍大将)を務める。各分限帳ではその組別に所属の藩士名が記載されている。軍制における装備義務(軍役と呼ぶ)は別項の軍制を参照。 また、世襲家老家のうちから江戸家老として1名を置き、不定期に交代した。時代により定府の場合と、江戸詰めの場合があった。また、藩主が京都所司代や大坂城代拝命の際には国元・江戸の家老とは別に臨時に老職を選任した。
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