家老就任と明治維新
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/16 16:45 UTC 版)
安政5年(1858年)、範致は田原藩の家老に就任した。小藩ながら下級藩士の出としては、異数の出世であった。過去に家老となった崋山も貧しい田原藩を豊かにするために苦心惨憺したが、範致はイリコ・淡菜などの海産物の生産を奨励し、これを西国に輸送することで収入を得ようとした。まもなく幕末騒乱期となり、明治元年(1868年)、明治維新となるが、範致は要職にあって藩をよく支えた。明治2年(1869年)、新政府から藩大参事を任命され、続けて藩政に当たるが、この頃になると病気がちとなり、範致が後継者に推挙した渡辺小崋(崋山の次男)がその期待に応えて実務を行った。3年後に病死した。墓は田原市田原町蔵王の蔵王霊園にある。また、明治30年(1897年)、勝海舟題額・細川潤次郎撰文による碑が田原城跡の三ノ丸に建立され、現在も残っている。大正2年(1913年)従五位を追贈された。
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