家臣との逸話
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 07:33 UTC 版)
月に一度家臣を全員集めて、自らの屋敷で会議を行った。この会議の席上では「怨まず、怒らず」が約束事となっており、長幼や禄の大小に関わらず、自由な発言が許されていた。会議後には氏郷自らが風呂(当時は非常に贅沢な持て成しとされていた。)を沸かしたり、料理を振舞ったという。 氏郷が諸氏を愛したことは、彼らを酒宴に招く時に、自分で風呂を沸かして入れたとの伝えでも察せられる(『老人雑話』)。 家臣への恩賞として蒲生の名字と「郷」の偏諱を与えている。これについては譜代の者には与えず、戦国時代に蒲生氏と同クラスの有力一門・外様層が中心であった。 西村左馬允という家臣が法度を破り召し放されたが、細川忠興に頼んで帰参を許された。ある日、氏郷は西村を呼び、相撲を申し入れた。西村は見くびられては武士の恥だとばかり手加減せずに、一度ならず二度も氏郷に勝った。西村は自分が手打ちになると思っていると、氏郷は怒るどころか翌日になって加増した。西村の正直に感じたのである。 新参者の部下には、「銀の鯰尾の兜をかぶり、先陣するものがいれば、そいつに負けぬように働け」と激励したという。ちなみに、その銀の鯰尾の兜をかぶるものとは氏郷自身のことである。 「知行と情とは車の両輪・鳥の翅」として、有功の士を厚遇して、門閥や伝統にとらわれず、家臣団の再編成を行った。
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