違反事件
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糞地筆禍事件 1965年、小説家南廷賢が発表した「糞地」が反共法違反に問われた。 五賊筆禍事件
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違反事件
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「国家保安法 (大韓民国)」の記事における「違反事件」の解説
韓国では国家保安法違反容疑で韓国当局に摘発・告訴された事件がいくつか存在する。 進歩党事件 社会民主主義的な綱領と政策を持つ第一共和国時代の野党・進歩党の関係者らが、「北朝鮮の主張に同調し、北朝鮮のスパイ活動を幇助した」として韓国警察・韓国陸軍特務部隊に検挙され、党首の曺奉岩が死刑となった事件。しかし2010年から再審が行われ、2011年に無罪判決が確定した。 人革党再建委員会事件 反国家団体である人民革命党を「設立」したとして1964年に“摘発”された(第一次事件)元関係者らが、1974年に党の再建を目論んだとして韓国中央情報部に検挙され、死刑となった事件。しかし、ソウル中央地裁は2007年1月23日、再審判決で8人全員に無罪を言い渡した。遺族らは「32年ぶりに法的に名誉回復された」と歓迎した。また2008年1月23日には、懲役刑となった14人に対しても無罪判決が言い渡された。 学園浸透スパイ団事件(11・22事件) 1975年11月22日、ソウル大学校などで、主に日本の関西出身の在日韓国人留学生達18人が、やはり留学生の徐兄弟(徐勝・徐俊植の二人)をリーダーとするスパイ団であるとされ、中央情報部に逮捕された事件。死刑判決を受けた関係者、懲役判決を受けた関係者に対して2010年7月に「真実・和解のための過去史整理委員会」が、国軍保安司令部(現・国軍機務司令部)による冤罪であったと結論付ける例が出ている。2011年2月までに3人、9月には更に2人、2013年5月にも2人(これにより金大中に対し下されていた1980年の死刑判決は根拠を喪失した)に対し再審無罪判決が下った。 姜禎求筆禍事件 2005年、東国大学校教授の姜禎求が「6・25は北朝鮮が試みた統一戦争」「韓国戦争は北朝鮮指導層が試みた統一戦争で、内戦」「韓国戦争は統一戦争」「6.25戦争は内戦で、北朝鮮指導部が試みた統一戦争」という朝鮮戦争観を主張して、9月に検察庁が国家保安法違反容疑で任意同行したが、逮捕直前の10月に千正培法務長官が指揮権を行使する。しかし、12月に在宅起訴され、判決では「冷徹かつ合理的な学問的テーマではなく、刺激的で煽動的な親北朝鮮の主張だ」「韓国戦争に米国が介入しなければ、1ヵ月以内で戦争は終わっていたはずだという被告の推論は、米国など国連連合軍の参戦がなければ、北朝鮮の赤化統一により、現在の大韓民国が存在していないことを意味する」「被告は、法廷でも犯罪事実と類似の主張を曲げておらず、厳格な司法判断が必要だ」として、懲役2年、執行猶予3年、資格停止2年の有罪判決を言い渡す。
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