第一次事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/03 09:29 UTC 版)
第一次事件は、1964年8月14日に発生した。この日、金炯旭KCIA部長は、都礼鍾、楊春遇ら革新系人士、報道関係者、学生など41人を検挙したと発表し、事件の「全貌」を公表した。 KCIAは「彼らは朝鮮民主主義人民共和国の朝鮮労働党から指令を受け、「人民革命党」(인민혁명당、人革党)なる反国家団体を組織し、各界の人士を集めながら国家事変を企てていた」と主張した。だが、実際に検察が裁判所へと起訴できた人数は13人のみで、しかも都礼鍾(ド・イェジョン、도예종)と楊春遇(ヤン・チュンウ、양춘우)以外の11人には下級裁判所で無罪が宣告された。しかし、最終的には最高裁判所(大法院)が、都礼鍾、楊春遇と他一人に対し懲役6年の有罪判決を、他の10人には懲役1年執行猶予3年の有罪判決を下し、司法判断が確定した。 当時、ソウル地方検察庁の公安部検事達は良心上から起訴に反対、起訴状への署名を拒否するとともに一部検事は辞表を提出した。しかし辞表は受理されて検察が独裁に協調するようになるきっかけになった。
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