第一次休戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 05:04 UTC 版)
ここで国連が停戦を呼びかける国連決議を可決、双方はこれを受け入れ6月11日より4週間の休戦となった。 この休戦期間中にイスラエル側は部隊の再編成を行った。この時点でのイスラエル武装組織は、主力のハガナーの他にシュテルンやレヒなど複数に分かれており、指揮系統が一本化されていなかった。そのためハガナーを中心にイスラエル国防軍を編成し、全武装組織の指揮系統を一本化することとした。しかし、これにイルグンが反発し、ついには武器輸送船「アルタレナ号」を巡り6月21日よりイスラエル国防軍と戦闘となった。イルグンは国防軍に制圧され、イスラエルは自軍の指揮系統の一本化に成功した。次いでチェコスロバキアからアヴィア S-199(第二次世界大戦後にチェコスロバキアで製造されたメッサーシュミットBf109)戦闘機を中心とした武器が到着し、さらにM4中戦車もスクラップの名目で世界中から大量に入手・再生し、反攻の準備を整えていった。 一方のアラブ側もアラブ連盟がヨルダンのアブドゥッラー1世に全アラブ軍最高司令官の地位を与えるもヨルダンの影響力を恐れた各国の思惑から指揮系統の統一は成功しなかった。
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