第一次中東戦争(ナクバ)とその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/28 04:26 UTC 版)
「アンナビー・ユーシュア」の記事における「第一次中東戦争(ナクバ)とその後」の解説
5月16日アンナビー・ユーシュアは、後に主要なイスラエル人人物となるイーガル・アロン率いるイスラエル軍によるイフタフ作戦(開通作戦)により、無人化させられた。住民のほとんどはレバノンかシリアの難民キャンプという結末を迎えた。1998年時点で、アンナビー・ユーシュアからの難民の子孫の数は499名と見積もられていた。 村の南に1945年に創設されたモシャヴのラモット・ナフタリは、1948年以来村の土地を包含することとなった。モシャヴはマッラーハ村(同じく無人化された)との村境に近い位置にある。 パレスチナ人の歴史家ワリード・ハーリディーは村の跡について1992年にこう述べている「鉄条網で囲まれた村の土地は、瓦礫の下にあり、アクセスが非常に難しくなっている。しかし、村の跡だという証拠が複数ある。家の欠片、村の墓地の墓、そして預言者ユーシュア廟だ。2つのドームと廟主要部へのアーチを使った玄関はいまだ健在だ。だが付属の厚い石壁の部屋部屋は壊れ、つながっている建物全体は放置されている。屋根からは草が生え、村の跡地はイチジクの木とウチワサボテンに囲まれている。跡地周辺の平らな土地には、イスラエル人農家がリンゴを植え、斜面は植林されるか放牧に使われている」。
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