火災発生
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「スリランカ最高裁判所」の記事における「火災発生」の解説
2020年12月15日午後4時45分、スリランカ最高裁判所庁舎1階の倉庫から出火した。この火災の消火のため、9台以上の消防車が出動した。幸いにも、この火災による死者・負傷者はいなかった。
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火災発生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 23:29 UTC 版)
1983年(昭和58年)11月24日午前3時40分頃、船原ホテルの本館最上階の4階宴会場附近から出火し、520畳敷大広間など、4階部分の約800平方メートルが全焼した。田方地区消防本部や地元の消防団、大仁消防署から消防車など41台が駆け付けて約400人で消火に当り、午前5時53分頃に鎮火した。 当時ホテルには、横浜市鶴見区市場町の市場町老人クラブ連合会が秋の慰安旅行に訪れており、全部で472人の客と従業員6人が泊っていた。客が早めに火事に気付いたことや、出火当時雨が降っていたこと、出火場所が最上階の4階宴会場だったことが幸いし、死者の出る惨事は免れた。 ただ、死者は出なかったものの、宿泊客の老人クラブ会員の内、3階の部屋のベランダなどから備え付けのロープで避難しようとした63歳女性が左太ももを骨折、69歳女性が右足の関節を骨折、4人がロープの摩擦で手足に怪我をした。 田方地区消防本部によると、煙感知器が作動して3階と4階を結ぶ中央階段の防火シャッターが降り、宿泊客らがいた3階以下への延焼を食い止めた。だが119番通報は附近の住民からなされ、客の一人によると、廊下で女性が「火事だ」と叫んでいることに気付き、すぐに室内の電話からフロントへの連絡を試みたが応答はなく、廊下へ出て非常ベルを押したが鳴らなかったという。館内放送や避難誘導も一切なく、他の客も同様の証言をしている。 宴会場は前日の23日夜に老人クラブ1団体が使用していたが、午後9時頃に従業員が見廻った際、異状はなかったという。
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火災発生
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1971年1月27日午後10時25分頃、葉山御用邸の詰所に設置されている自動火災報知機が作動した。報知機は「皇子御座所、御化粧室、天井面」を指し示していた。 詰所の宮内庁職員や皇宮護衛官は直ちに現場に駆け付けて消火に努めるとともに、宮内庁本庁や皇宮警察本部に急報、近隣の葉山町消防本部や神奈川県葉山警察署にも救援を依頼した。 しかし、当日は異常乾燥注意報が発令されており、現場が非常に乾燥していたこと、また建物が檜造りの木造建築で燃え易い構造であったことから、消防関係者の必死の努力も空しく、附属邸を除く本邸が全焼した。
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火災発生
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2008年2月10日午後8時50分頃、崇礼門から火の手が上がったとの市民の通報があり、ソウル市消防は消防車32台と消防隊員128人を現場に直行させた。しかし消防士たちは、消火活動により国宝である崇礼門を損壊することを恐れ、消火活動ははかばかしくなかった。10時30分ごろには炎は見えなくなり煙を出してくすぶるのみとなったことで鎮火できると安堵感も出たが、11時ごろになると建物内部の火が炎をあげて一気に燃え広がった。狼狽した消防はしきりに放水を行ったが、もはや火勢は留めようもなく、2月11日0時を過ぎたころから、屋根の崩落が始まり土瓦が音を立てて地上に落下し始めた。1時54分には、テレビで見守っていた多くの韓国国民の面前で、建物全体が大音響とともに崩壊した。結局、360人以上の消防士の努力も空しく、崇礼門は完全に焼失した。残ったのは、譲寧大君の揮毫による「崇礼門」の扁額一枚だけであった。これは、火勢が強まった際に、焼失を避けるためクレーンをもって取り外されたためである。
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火災発生
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1974年2月1日、多くの会社員(当時756名がいたと言われている)が出勤していた午前8時50分頃、ノースタワー12階の窓上部に設置されていたエアコン室外機がショートして出火、午前9時10分頃には隣のビルから消防署へ火災が通報された。炎はやがて窓を破壊し、12階の可燃性の内装を燃やしながら建物中央のエレベーター棟に延焼、階段の吹き抜けを通じて上階へ達した。 日本で起こった千日デパート火災と同じように階段が煙突の役目を果たし、唯一の避難経路が早々に使えなくなった。 約300人ほどが火の手や煙が回る前に難を逃れたが、半数以上が逃げ遅れ171名が屋上に取り残された。 この時点ではサウスタワーまでは延焼していなかったが、ノースタワー12階の窓から激しく燃え盛る炎は強風に煽られ、やがて14階の窓を破壊するとさらに勢いを増し、サウスタワーに延焼、両棟の窓伝いに燃え広がった。
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