火災発生当日の千日デパート
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 22:45 UTC 版)
「千日デパート火災」の記事における「火災発生当日の千日デパート」の解説
1972年(昭和47年)5月13日(土曜日)の火災発生当日における千日デパートのおもな営業状況は、地下1階は食品館、飲食店、直営催事場(人形館)、お化け屋敷と喫茶店を組み合わせた「サタン」(千土地観光経営)[要出典]、1階と2階は計126店舗が出店する専門店街、3階と4階はニチイ千日前店、5階は千日デパート直営の100円・200円均一スーパー、6階は遊技場(千日劇場跡)、7階はアルバイトサロンプレイタウン(千土地観光経営)、屋上は観覧車とモノレールを据えた遊園地、売店、ペットショップ、園芸店などとなっていて、その他に歯科医院や美容室、企業事務所が数社入居していた。以上のように同デパートには雑多なテナントが入居し、同じ商業施設内でも各売場ごとに営業者が異なる雑居ビル(寄合百貨店)の状態となっていた。テナントの総数は176店舗だった(企業事務所を含む)。この出店営業形態は、1958年に同デパートが開業して以来、変わらずに続いていたものであり、1967年(昭和42年)9月には火災当日の使用状態において貸店舗としての建築確認を済ませていた。営業時間は10時から21時までで、定休日は水曜日だった。7階「プレイタウン」は、デパート閉店時刻以降も館内で唯一営業しているテナントであり、23時まで営業していた。なお「プレイタウン」は年中無休であった。 火災発生当日は、母の日の前日ということで、デパート正面にはニチイ千日前店の「母の日」商戦の宣伝用垂れ幕「5月14日は母の日です」と「お母様に感謝のプレゼント」が1本ずつ掲げられていた。ほかに「竹雀の帯・和装品2階」と「南太平洋博・奈良ドリームランド」の宣伝用垂れ幕も掲げられていた。ニチイ千日前店は、同デパートのキーテナントということで、ビルの壁面に大掛かりな看板(ビル北側および西側)とネオンサイン(ビル南側)が掲げられていた。また7階「プレイタウン」も主要なテナントの一つであったことから1階専用出入口上部に宣伝用看板とネオンサインが掲げられていた。そのほかに6階および屋上で遊技場と遊園地を営業する「レジャープラザ」のネオンサインも北東正面と北側西寄の2ヵ所に掲げられていた。1階の主要な各テナントは、外周部のシャッターや日除け幕に店舗名を入れていた。 館内のイベントとしては、地下1階直営催事場で「恐怖の地下室」と題するスリラー人形展(お化け屋敷)が開催されていた。この催し物は、火災発生当時においては同デパートの目玉企画だったと考えられ、各出入口の上部には宣伝用の看板が掲げられ、人形を使ったディスプレイも用いて大々的に宣伝されていた。館内にも宣伝用ポスターが主要な場所に貼られ、同イベントに提携して営業されていた「お化け喫茶サタン」の看板も地下出入口上部に掲げられていた。その他のイベントとしては、5階の直営均一スーパーで化粧品メーカーの「100円均一フェア」が開催されており、「スリラー人形展」と同じく正面入口上部に宣伝用の看板が掲げられていた。 火災発生当日は、館内で2件の工事が行われていた。1件は、ニチイ千日前店の3階と4階の売場改装に伴う電気配線増設工事である。5月22日から一週間かけての本格的な工事を前に5月6日から準備工事が開始されていたもので、火災当日はデパートの開店と同時に3階で工事が始まった。当該工事はデパート営業中にも実施された。進捗状況の関係から閉店後の夜間も工事を行う手筈となっていて、翌朝4時までを予定していた。もう1件は、6階の旧千日劇場跡をボウリング場に改装する工事が4月28日から行われていた。火災当日は22時30分までの予定で工事が進められていた。#火災発生当日の館内工事
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