第二次世界大戦開戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 14:49 UTC 版)
「第二次世界大戦」の記事における「第二次世界大戦開戦」の解説
そのような中で起きた8月23日の独ソ不可侵条約締結は日本に衝撃を与えた。これを受けて、当時の首相平沼騏一郎は「欧洲の天地は複雑怪奇」との言葉を残し政治責任から8月28日に総辞職した。 また大島浩大使も、ノモンハン事件が起きる中でこの締結を前もって知らされなかった責任を取り、ベルリンより帰朝を命ぜられ(帰国後の12月27日に大使依願免職した)、これ以後のドイツとの交渉は中止となるなど、日本の政界も揺るがす大混乱となった次の駐独大使にはドイツとの対独同盟に懐疑的で「親米」といわれた来栖三郎が継いだ。しかし続く阿部内閣も短命に終わり、対独同盟派の勢いは停滞した。 9月1日にドイツがポーランドに侵攻した。これに対して9月3日にイギリスとフランスがドイツに宣戦布告し、ついにヨーロッパで第二次世界大戦が勃発した。ノモンハン事件が9月15日に終結し日本との戦いの心配もなくなったソ連は、独ソ不可侵条約の秘密議定書に基づき9月17日にソ連・ポーランド不可侵条約を一方的に破棄し、ポーランドへ東から侵攻した。
※この「第二次世界大戦開戦」の解説は、「第二次世界大戦」の解説の一部です。
「第二次世界大戦開戦」を含む「第二次世界大戦」の記事については、「第二次世界大戦」の概要を参照ください。
- 第二次世界大戦開戦のページへのリンク