第二次世界大戦開戦後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/17 17:05 UTC 版)
「ダッハウ強制収容所」の記事における「第二次世界大戦開戦後」の解説
第二次世界大戦が開戦した初期に再建設のため一時ダッハウ強制収容所から収容者が追い出された。ダッハウの収容者たちはフロッセンビュルク強制収容所やマウトハウゼン強制収容所などへ移送された。南北に長い長方形の敷地、二重に張り巡らされた鉄条網、その随所に設置された監視塔という他の強制収容所と同じ形状に作り直された。理論収容数も大きく増やされて9,000人が収容可能となった(もっとも1944年秋にはそれよりはるかに多い3万5000人が押し込まれる事になるが)。1940年春にダッハウ強制収容所が再び稼働した。 国家保安本部長官ラインハルト・ハイドリヒが1941年1月2日に定めた政令によると、ダッハウは庭仕事など軽い仕事に従事することのできる者を収容する「第一カテゴリー」の収容所に属していた。1943年のバチカンとの合意の後には聖職者はこのカテゴリーの収容所に限定して送られるようになった。
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