第二次世界大戦緒戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/04 06:17 UTC 版)
「ダンケルク (戦艦)」の記事における「第二次世界大戦緒戦」の解説
1939年(昭和14年)9月からはじまった第二次世界大戦初期、いわゆるまやかし戦争(Phoney War)において、ダンケルク級戦艦は長大な航続性能を生かして連合国側の船団護衛任務に従事した。ドイツ海軍は、連合国軍のシーレーン攪乱を狙って通商破壊艦(ポケット戦艦、仮装巡洋艦、Uボート)を大西洋に放った。フランス海軍は、ダンケルク級戦艦や空母ベアルン (Béarn) および軽巡洋艦や大型駆逐艦で襲撃部隊(英語版、フランス語版)を編成していた。襲撃部隊はイギリス海軍と共に、ポケット戦艦アドミラル・グラーフ・シュペー (Die Admiral Graf Spee) の追撃戦に参加した。 同年11月23日、フェロー諸島沖海戦で英海軍の補助巡洋艦ラワルピンディ (Rawalpindi) が、ドイツ海軍の高速戦艦(巡洋戦艦)2隻(グナイゼナウ、シャルンホルスト)に撃沈された。沈没寸前のラワルピンディも、救援にかけつけた英海軍の軽巡洋艦ニューカッスル (HMS Newcastle, C76) も、敵艦(シャルンホルスト級)を「ポケット戦艦のドイツチラント」と誤認報告してしまう。イギリス海軍は本国艦隊を出撃させると共に、イギリス本土のデヴォンポートにいた襲撃部隊(司令官ジャンスール提督:戦艦ダンケルク、軽巡ジョルジュ・レイグ、軽巡モンカルム、大型駆逐艦モガドール、ボルタ(英語版、フランス語版))にも出撃を命じた。イギリス国民の誇りと謳われた巡洋戦艦フッド (HMS Hood) を指揮下にいれたダンケルクは、ドイツ通商破壊艦の捜索と追撃戦に参加する。アイスランド南方やフェロー諸島方面を警戒したが、シャルンホルスト級2隻は連合軍包囲網を潜り抜けてドイツ本国に戻っていた。
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