第二次世界大戦終結以後から冷戦期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 10:09 UTC 版)
「朝日新聞」の記事における「第二次世界大戦終結以後から冷戦期」の解説
日本の敗戦後は、社説「自らを罪するの弁」(1945年8月23日)、声明「国民と共に立たん(関西版では「―起たん」)」(1945年11月7日)を発表し、村山社主家の村山長挙社長以下の幹部が辞任した。ただし、村山長挙・上野精一両社主は公職追放の解除後に復帰した。 戦前は朝鮮人による日本への密航や朝鮮人密航組織、さらに朝鮮人労働者が高収入を得ていたという報道を頻繁に行っていたが、1959年以降に北朝鮮への帰還事業が行われるようになると次第に左傾化し、在日朝鮮人は強制連行されたものであるという報道を行い始めた。その後も主体思想や託児所が整備されていることなどを紹介し「この国の未来を感じた」などと北朝鮮の施策を称賛する記事を掲載している。 戦後の一時期まで、朝日新聞は購読者層として政官財のトップエリートを含む社会の高学歴層に支持されてきた傾向があったとされる。しかし同時に、記者をはじめとする朝日新聞社員のエリート意識も極めて高く、同社員の外部に対応する態度は「Donaru(怒鳴る)」「Ibaru(威張る)」「Yobitukeru(呼びつける)」の「朝日のDIY」と言われ、そのことが珊瑚記事捏造事件の時のように、必要以上に相手の反感を買っているという指摘もなされている。 戦後は長らく政権与党であった自由民主党に対し、批判的な傾向が見られるが、笠信太郎が論説主幹だった時代からリベラル右派の宏池会とは比較的近い関係にある。朝日新聞社出身の緒方竹虎、石井光次郎、河野一郎を強く首相に推していた時期もあった。さらに近年では小泉純一郎政権時(主に2005年頃)に、小泉が推進した構造改革路線を積極的に支持したこともある。 黒田勝弘によれば、1973年の金大中拉致事件についての朝日新聞の論調は朴正煕批判・金大中擁護で、韓国人の間では「反韓メディア」と評されていたという。
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