第二次世界大戦終結から東日本大震災及び福島第一原子力発電所事故発生まで
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「双葉町」の記事における「第二次世界大戦終結から東日本大震災及び福島第一原子力発電所事故発生まで」の解説
1947年(昭和22年) - 学校教育法施行により、長塚村・新山町組合立標葉中学校が開校。「新山国民学校」が「新山町立新山小学校」に「長塚国民学校」が「長塚村立長塚小学校」に改称。 1951年(昭和26年)4月1日 - 新山町と長塚村が合併して標葉町(しねはまち)が発足。 1951年(昭和26年) - 標葉町立標葉中学校・標葉町立新山小学校・標葉町立長塚小学校へ改称。 1952年(昭和27年) - 長塚字鬼木で標葉町立標葉中学校の落成式。 1956年(昭和31年)4月1日 - 標葉町から双葉町に改名。 1956年(昭和31年) - 「標葉町立標葉中学校」が「双葉町立双葉中学校」に、「標葉町立新山小学校」が「双葉町立双葉南小学校」に、「標葉町立長塚小学校」が「双葉町立双葉北小学校」に改称。 1957年(昭和32年)5月17日 - 前田地区ゲート付近にて常磐線急行「北上」脱線事故が発生。死傷者46名。 1958年(昭和33年)4月1日 - 浪江町の旧 請戸村域から中野地区、両竹地区(一部)を編入。 1960年(昭和35年)4月1日 - 浪江町の旧 請戸村域から中浜地区(一部)、両竹地区(一部)を編入。 1961年(昭和36年)10月22日 - 双葉町議会が原子力発電所誘致を議決。 1962年(昭和41年) - 双葉町児童館を新設。 1967年(昭和42年) - 清戸迫横穴が発見される。 1969年(昭和44年) - 双葉南小学校新校舎落成式、新山字東舘から新山字清戸迫に新設し移転。 1969年(昭和44年) - 双葉町公民館を新設。 1971年(昭和46年)3月26日 - 福島第一原子力発電所が営業運転開始。それまで農業の出来ない冬には出稼ぎに行っていた大熊町・浪江町など福島の海岸地帯の住民は原発関連の仕事をすることで一年中、地元で働けるようになったため、双葉町でも安定的な働き口とかなりの補助金を与えてくれた“福の神”とされていた。大熊町とともに国から電源立地地域対策交付金などの多額の交付金や補助金を受けることになり次々と図書館などハコモノを作っていった。次第に町民からも『大熊町にあるのになぜ双葉町に無いのか』などの声が大きくなり、小さな隣町同士で人口規模に見合わない施設を互いに作るようになった。また、町長や町職員も運用経験のない巨額の公金を運用することとなりその知識や能力が乏しいまま使用し続けた結果、ついには借金を作ることとなった。 1972年(昭和47年) - 双葉町町章を制定。 1973年(昭和48年) - 双葉北小学校新校舎を新設。 1974年(昭和49年) - 双葉幼稚園を新設。 1977年(昭和52年) - 双葉町立双葉中学校が長塚字鬼木から新山字東舘に新設し移転。 1977年(昭和52年) - 双葉町立双葉中学校跡地に町民グラウンドを新設。 1977年(昭和52年) - 双葉町体育館を新設。 1977年(昭和52年) - 老人福祉会館(後に、ふれあい福祉会館に改称)を新設。 1978年(昭和53年)4月18日 - 福島第一原子力発電所5号機が双葉町内で営業運転開始。 1979年(昭和54年)10月24日 - 福島第一原子力発電所6号機が双葉町内で営業運転開始。これにより、1号機から6号機までのすべての総出力量が当時の世界最大の原子力発電所となった。 1981年(昭和56年)3月11日 - 町民憲章制定。 1982年(昭和57年) - 双葉地方広域市町村圏組合公立双葉准看護学院が開校。 1983年(昭和58年)4月1日 - 双葉町役場が新山字前沖28番地に新設し移転。 1984年(昭和59年) - 双葉町図書館を新設。 1984年(昭和59年) - 北部コミュニティーセンターを新設。 1985年(昭和60年)9月1日 - 町旗制定。 1986年(昭和61年)10月1日 - 町の花、木、鳥を制定。 1986年(昭和61年) - 双葉町農村広場を新設。 1987年(昭和62年)- 総事業費は50億円超の大事業として、野球場やテニスコートなどがある総合運動公園事業をスタートしたが、作った野球場の規格では公式戦が行えないなど不備が多々あり、福島第一原子力発電所事故までの約25年にわたり、ほとんど収益が無く維持費を支払い続け、ついに完成することがないまま中間貯蔵施設の用地となった。 1987年(昭和62年) - 双葉北幼稚園を新設。双葉幼稚園が双葉南幼稚園に改称。 1987年(昭和62年) - 町営墓地「双葉町越田霊園」を新設。 1987年(昭和62年) - 青年婦人会館を新設。 1987年(昭和62年) - 海の家「マリーンハウス」を新設。 1988年(昭和63年)5月1日 - 双葉町民の歌及びふたば音頭を制定。 1988年(昭和63年) - 町内に地区公民館を新設。 1989年(昭和64年/平成元年) - 双葉町浄化センターを新設。 1990年(平成2年) - 双葉町海浜公園を新設。 1991年(平成3年)9月25日- 双葉町議会「原発増設に関する決議」を全会一致で採決。 1992年(平成4年) - 双葉町歴史民俗資料館を新設。 1994年(平成6年) - 瑞穂町 (京都府)と姉妹都市連携。 1994年(平成6年) - 双葉町児童館が新山字広町より長塚字鬼木へ新設し移転。 1998年(平成10年) - ステーションプラザふたば新設。双葉町コミュニティーセンター設置。 1999年(平成11年) - 総合保健福祉施設「ヘルスケアふたば」を新設。 2001年(平成13年) - 双葉町の公式サイトを開設。 2001年(平成13年) - 双葉北幼稚園・南幼稚園が合併し「ふたば幼稚園」が発足。 2002年(平成14年) 9月20日- 8月29日に公表された、原子力安全・保安院及び東京電力の原子力発電所に係る不正問題を受け、東京電力が9月4日に7号機8号機の増設計画を延期したことから、双葉町議会「原発増設に関する決議」を凍結。 2005年(平成17年) - マスコットキャラクターにフタバくんが決定。 2007年(平成19年)6月15日 - 双葉町議会「原発増設に関する決議」について凍結を解除する決議案を可決。 2009年(平成21年) - 2008年度決算で、借金返済の重さを示す実質公債費比率が基準値の25%超の29.4%となり、早期健全化団体に指定される。 2011年(平成23年) - 双葉町学校給食センター新設。
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