第二次世界大戦終戦時の朝鮮の政治状況とは? わかりやすく解説

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第二次世界大戦終戦時の朝鮮の政治状況

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 03:39 UTC 版)

朝鮮戦争」の記事における「第二次世界大戦終戦時の朝鮮の政治状況」の解説

第二次世界大戦中連合国会談によって、降伏後日本朝鮮半島を含む海外領土統治権放棄することは既定方針であり、1945年7月26日発表されポツダム宣言においてもその方針は明らかにされていた。 8月9日行われたソ連軍日本満州国へ侵略に伴う、日本領の朝鮮半島への侵攻という事態に直面しアメリカソ連38度線での分割占領案を提示した。この境界線アメリカ陸軍ディーン・ラスクらによって30分間策定されたものであり、アメリカ軍占領域にその後大韓民国首都ソウルとなる京城府含まれる事も考慮されていた。日本国政府8月14日ポツダム宣言受諾連合国通告日本の降伏決定された。 ソ連軍アメリカによる朝鮮半島分割占領案に8月16日合意し、翌17日には一般命令第一号として、38度線以北日本軍ソ連軍に、以南アメリカ軍降伏させることが通知された。合意受けてソ連軍8月16日以降朝鮮半島内への本格的侵攻開始27日には新義州至った9月2日日本降伏文書署名正式に降伏この際一般命令第一号日本側に伝達され大本営朝鮮半島駐留していた日本軍対し一般命令第一号に従って降伏するよう通告した日本統治下の朝鮮半島内では独立運動志向する諸勢力存在はしたが、独立志向組織はむしろ朝鮮半島外にあり、その勢力小さく亡命先での活動主だった大きく分ける中華民国上海大韓民国臨時政府中国共産党指導にあった満州東北抗日聯軍抗日パルチザン)、アメリカ国内における活動家などが挙げられるが、それらはいずれ朝鮮半島住民から大きな支持を得る至らずその影響力は限定的なものであったこのような情勢ゆえに日本降伏時、朝鮮全土わたって独立建国に向かう民意糾合は全く醸成されておらず、日本統治からの突然の「解放」は、あくまで連合国軍により「与えられ解放であった朝鮮人が自らの力で独立勝ち取ることができず、独立運動の諸派解放後、それも数年間にわたり激しく対立し続けたことは南北分断にも少なからず影響しその後朝鮮運命決定づけた。

※この「第二次世界大戦終戦時の朝鮮の政治状況」の解説は、「朝鮮戦争」の解説の一部です。
「第二次世界大戦終戦時の朝鮮の政治状況」を含む「朝鮮戦争」の記事については、「朝鮮戦争」の概要を参照ください。

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