38度線以北(北朝鮮)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/10 10:27 UTC 版)
「連合軍軍政期 (朝鮮史)」の記事における「38度線以北(北朝鮮)」の解説
ソ連軍政は、以前から存在した共産主義系の独立運動組職を包容し、主要な親日派人士やソ連軍政に非協力的な民族主義者を弾劾・粛清していった。同時に、ソ連軍政は当時少数の勢力に過ぎなかった金日成の旧東北抗日聯軍一派(後の満州派)を重用し、朝鮮国内派(甲山派、南労党派)や中国派といった他の共産主義分派達を、金日成率いる朝鮮共産党(後の朝鮮労働党)の下へ強制的に編入させた。 1946年1月から米ソが朝鮮での信託統治実施を巡って共同委員会を開く中、北朝鮮では全体を統括する朝鮮人の行政機関として2月8日に北朝鮮臨時人民委員会が設立され、1947年2月20日には正式な行政機関として北朝鮮人民委員会に再編成された。その後、10月20日に米ソ共同委員会が最終的に決裂すると、人民委員会は11月18日に第3次会議を開催し、憲法制定委員会を樹立して北朝鮮独自の憲法制定に着手した。 1948年に入り南朝鮮単独で総選挙を実施する動きが起きると、人民委員会は南朝鮮労働党を通じて選挙の妨害活動に出た。だが、5月10日に南朝鮮単独総選挙が強行されたため、人民委員会は南側単独の新政府に対抗する別個の政府樹立を急いだ。8月25日、南北朝鮮を対象とした代議員選挙 を行って最高人民会議を設立し、9月3日には朝鮮民主主義人民共和国憲法が公式採択された。そして、9月9日に金日成を首班とする朝鮮民主主義人民共和国の建国が宣布されて、社会主義政権が発足した。10月12日にソ連の承認を受けることでソ連軍政は終結した。 第5軍の降伏式に参加した曺晩植(左)と竹下義晴中将(中央)、及びイワン・チスチャコフ大将(1945年8月) 朝鮮に進駐したソ連軍の兵士(1945年10月) 北朝鮮臨時人民委員会の成立慶祝大会(1946年2月) 北朝鮮労働党の第1回党大会に出席する金日成(中央)と金枓奉(右から2番目)(1946年8月) 朝鮮人民軍の創立記念式典(1948年2月) 南北連席会議に出席した金日成(中央)と金九(1948年4月)
※この「38度線以北(北朝鮮)」の解説は、「連合軍軍政期 (朝鮮史)」の解説の一部です。
「38度線以北(北朝鮮)」を含む「連合軍軍政期 (朝鮮史)」の記事については、「連合軍軍政期 (朝鮮史)」の概要を参照ください。
- 38度線以北のページへのリンク