満州、朝鮮北部
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 22:54 UTC 版)
満州や朝鮮半島の北緯38度線以北などソ連軍占領下の地域では引き揚げが遅れ、満州からの引揚は、ソ連から中華民国の占領下になってから行われた。日本から多数の入植者が送られていた満州においては混乱の中帰国の途に着いた開拓者らの旅路は険しく困難を極め、食糧事情や衛生面、治安の著しい悪化等から帰国に到らなかった者や祖国の土を踏むことなく力尽きた者も多数いる。 朝鮮半島の北緯38度線以北にいた日本人は、引揚事業の費用負担をソ連のどの省が負うのか責任の先送りの間に栄養失調や飢えや病気で約5万人以上が死亡した。また、20万人が自力で北緯38度線を越え釜山経由で日本へ帰国した。
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