米軍占領下地域
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 09:21 UTC 版)
GHQ/SCAPのダグラス・マッカーサー総司令官は人道的立場から引き揚げを早期に終了させるつもりでおり、GHQ指令で厚生省が引揚援護庁を設置し、行政事務を行った。1945年11月24日、厚生省は佐世保、博多、鹿児島、唐津、仙崎、宇品、舞鶴、田辺、名古屋、浦賀、函館の11カ所に地方引揚援護局を設置するよう告示した。東南アジア、台湾、中国、朝鮮半島南部(北緯38度線以南)などからの引き揚げは、ソ連軍占領下地域の満州・朝鮮北部(北緯38度線以北)などと比較するとスムーズであり、1946年には9割以上達成された。また在外父兄救出学生同盟は朝鮮に渡航し、金日成に直訴した。 1948年には引揚者団体全国連合会が発足した。引揚者や復員者の就労のために戦後開拓事業がなされた。 持込制限 GHQは外地からの内地への資産持ち込みによるインフレーションを懸念し、引揚者が持ち込んだ通貨、証券類の多くを税関などで預託させる持込制限措置を行った。税関は1953年より預託品の返還を行っているが、50年以上経った現在でも持ち主が現れない現金、証券類が保管されている。
※この「米軍占領下地域」の解説は、「引揚者」の解説の一部です。
「米軍占領下地域」を含む「引揚者」の記事については、「引揚者」の概要を参照ください。
- 米軍占領下地域のページへのリンク