第1極東戦線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/08 23:27 UTC 版)
第1極東戦線 | |
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創設 | 1945年8月5日 |
廃止 | 1945年10月1日 |
所属政体 | ![]() |
所属組織 | ![]() |
部隊編制単位 | 総軍 |
所在地 | 沿海地方 |
編成地 | 沿海地方 |
最終上級単位 | 極東軍管区 |
担当地域 | 満洲と朝鮮半島 |
最終位置 | 満洲、朝鮮半島と遼東半島 |
戦歴 | 第二次世界大戦 (ソ連対日参戦) |
第1極東戦線(ロシア語: 1-й Дальневосточный фронт、第1極東方面軍、もしくは第1極東正面軍とも)は、第二次世界大戦末期(ソ連対日参戦時)にソ連極東地域に設置された赤軍の方面軍級部隊である。
概要
1945年8月5日、沿海軍集団(第1赤旗軍、第5軍、第25軍、第35軍、第9航空軍)、チュグエフカ作戦集団、第10機械化軍団から編成された。戦線の指揮機関は、カレリア戦線に基づき編成された。戦線の部隊は、沿海地方のグレロヴォ駅から朝鮮との国境にかけて展開した。
8月9日~9月2日、戦線は、ハルビン・吉林方面において、戦略満洲作戦に参加した。第1極東戦線は、ザバイカル戦線、第2極東戦線及び太平洋艦隊と協同で、山岳・森林地帯の要塞を突破し、関東軍の第一方面軍と第十七方面軍を撃破して、満洲東部、遼東半島、38度線以北の朝鮮半島を占領した。
1945年10月1日、9月10日付最高司令部スタフカの命令に基づき、第1極東戦線は解散され、その指揮機関は沿海軍管区に再編された。
編制
- 第1赤旗軍 - 司令官アファナシー・ベロボロドフ大将
- 第5軍 - 司令官ニコライ・クルイロフ大将
- 第25軍 - 司令官イワン・チスチャコフ大将
- 第35軍
- 第10機械化軍団
- 第9航空軍
指揮官
- 司令官:キリル・メレツコフソ連邦元帥
- 軍事会議議員:テレンチー・シュトィコフ大将
- 参謀長:A.クルチコフ中将
終戦時隷下部隊
- 第1赤旗軍 - 司令官アファナシー・ベロボロドフ大将
- 第5軍 - 司令官ニコライ・クルイロフ大将
- 第25軍 - 司令官イワン・チスチャコフ大将
- 第35軍
- 第10機械化軍団
- 第9航空軍
外部リンク
- 60 лет Победе(ロシア語。戦勝60周年に宛てられたロシア国防省公式のHP)
第1極東戦線
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「ソビエト連邦による満洲侵攻」の記事における「第1極東戦線」の解説
キリル・メレツコフ下の第1極東戦線は以下を含んだ。 第1赤旗軍(ロシア語版) 第5軍 (ソ連)(ロシア語版) 第25軍 (ソ連)(ロシア語版) 第35軍 (ソ連)(ロシア語版) 第10機械化軍団 (第二次編成)(ロシア語版) 第9航空軍 (ソ連)(ロシア語版) 第1極東戦線は翼包囲の東半分を形成していた。第1赤旗軍、第5軍、第10機械化軍団からなる軍団は、牡丹江市へ攻撃を開始した。牡丹江市を占領した後は吉林省の長春市とハルビン市へ向けて進攻、その最終目的は長春や吉林にてザバイカル戦線と連携して、翼包囲を完成させることだった。 第2目的として第1極東戦線は日本軍の朝鮮半島への後退を妨害する、次に北緯38度線以北の朝鮮半島に侵攻する予定であり、解放された区域は後に朝鮮民主主義人民共和国の領土となった。この第2目的は第25軍によって実行される予定だった。第35軍は勃利県の都市と密山市を占領する任務を課された。
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