第2極東戦線
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第2極東戦線 | |
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創設 | 1945年(昭和20年)8月5日 |
廃止 | 1945年(昭和20年)10月1日 |
所属政体 | ![]() |
所属組織 | ソ連軍 |
部隊編制単位 | 総軍 |
最終上級単位 | 極東軍管区 |
担当地域 | 満洲と樺太 |
最終位置 | 樺太と北方地域 |
戦歴 | 第二次世界大戦 (ソ連対日参戦) (ソ連満洲侵攻) (南樺太の戦い) (千島列島の戦い) (占守島の戦い) (ソビエト連邦による北海道侵攻計画) |
第2極東戦線(ロシア語: 2-й Дальневосточный фронт、第2極東方面軍、もしくは第2極東正面軍とも)は、第二次世界大戦末期(ソ連対日参戦時)にソ連極東地域に設置された赤軍の方面軍級部隊である。
概要
1945年8月5日、極東戦線(第2赤旗軍、第15軍、第16軍、第10航空軍、第5狙撃軍団、第88狙撃大隊、カムチャッカ防衛地区)に基づき設置された。その外、赤旗アムール小艦隊と北太平洋小艦隊が、戦線の作戦統制下に入った。
8月9日~9月2日の戦略満洲作戦時、戦線は、アムール小艦隊と協同でスンガリ作戦を、北太平洋小艦隊と協同で南サハリン(南樺太)、クリル(千島列島)上陸作戦を行った。戦線主力は、スンガリ(松花江)、チチハル、ジャオヘイ方面で行動した。戦線部隊は、関東軍の第4軍、第一方面軍の一部と第五方面軍を撃破した。ソ連軍部隊は、チチハル方面で100~150km、スンガリ方面で300km前進した。第2赤旗軍はカロジャン、ルンジェン地区に、第15軍はサンシン地区に、第5狙撃軍団はボリ(勃利県)地区に進出した。
1945年10月1日、9月1日付最高司令部スタフカの命令により、第2極東戦線は解散され、その指揮機関は極東軍管区に再編された。
編制
- 第2赤旗軍
- 第15軍
- 第16軍:司令官A.チェレミソフ少将
- 第10航空軍
- 第5独立狙撃軍団
- カムチャッカ防衛地区:司令官A.グネチコ少将
- アムール小艦隊
- 北太平洋小艦隊
指揮官
- 司令官:マクシム・プルカエフ上級大将
- 軍事会議議員:ドミトリー・レオーノフ中将
- 参謀長:F.シェフチェンコ中将
最終所属部隊
- 第2赤旗軍
- 第15軍
- 第16軍
- 第10航空軍
- 第5独立狙撃軍団
- カムチャッカ防衛地区
関連項目
外部リンク
- 60 лет Победе (戦勝60周年に宛てられたロシア国防省公式のHP)
第2極東戦線
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「ソビエト連邦による満洲侵攻」の記事における「第2極東戦線」の解説
マクシム・プルカエフ下の第2極東戦線は以下を含んだ。 第2赤旗軍(ロシア語版) 第15軍 (ソ連)(ロシア語版) 第16軍 (ソ連)(ロシア語版) 第5狙撃軍団(ロシア語版) アムール船隊(ロシア語版) 第10航空軍 (ソ連)(ロシア語版) 第11航空軍 (ソ連)(ロシア語版) 第2極東戦線は攻撃任務への支援として展開された。目標はハルビン市とチチハル市を占領して、日本軍の満洲南部への後退を妨害することだった。前線部隊には1940年代初めにソ連領内に撤退した東北抗日聯軍の中国人と朝鮮人ゲリラから成る第88独立狙撃旅団も含んだ。周保中に率いられたこの部隊は破壊工作や偵察任務を行うため侵攻作戦に参加する事になっていたが、戦場へ送るには価値があり過ぎると見做された。この部隊は戦闘任務から外され、代わりにその後の占領期間に解放された地域の役所や警察署の指導職や管理職に就任した。(将来の独裁者金日成を含む) 第88独立狙撃旅団の朝鮮人大隊も第1極東戦線の一部として、その後の朝鮮解放後の活動を支援する為に送られた。 第1極東戦線とザバイカル戦線の部隊が長春を占領すると、第2極東戦線は遼東半島を攻撃し、旅順を占領する予定だった。 極東司令部指揮下のソ連軍合計ザバイカル戦線第1極東戦線第2極東戦線兵員数1,577,725 654,040 586,589 337,096 大砲、迫撃砲27,086 9,668 11,430 5,988 複式ロケット発射装置1,171 583 516 72 戦車、自走砲5,556 2,416 1,860 1,280 航空機3,721 1,324 1,137 1,260 また、日本側の一資料では、以下の通りである。 総数師団80個 戦車・機械化旅団40個 飛行師団32個 戦車・自走砲5,250両 航空機5,171機 兵力175万 第1極東戦線(キリル・メレツコフ)狙撃師団31個 騎兵師団1個 戦車・機械化旅団14個 大砲・迫撃砲10,616門 戦車・自走砲1,974両 第2極東戦線(マクシム・プルカエフ)狙撃師団11個 戦車旅団8個 大砲・迫撃砲4,781門 戦車・自走砲917両 ザバイカル戦線(ロディオン・マリノフスキー)狙撃師団28個 騎兵師団5個 戦車師団2個 自動車化狙撃師団2個 大砲・迫撃砲8,980門 戦車・自走砲2,359両 各戦線は、軍団の代わりに前線に直接付随する “front units” を所有していた。戦力のおよそ1/3は、戦闘支援と補給任務に就いた。ソ連の作戦計画では独ソ戦で得られた機動戦での経験が組み込まれている。
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