第2極東戦線とは? わかりやすく解説

第2極東戦線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/09 00:32 UTC 版)

第2極東戦線
創設 1945年(昭和20年)8月5日
廃止 1945年(昭和20年)10月1日
所属政体 ソビエト連邦
所属組織 ソ連軍
部隊編制単位 総軍
最終上級単位 極東軍管区
担当地域 満洲と樺太
最終位置 樺太北方地域
戦歴 第二次世界大戦
(ソ連対日参戦)
(ソ連満洲侵攻)
(南樺太の戦い)
(千島列島の戦い)
(占守島の戦い)
(ソビエト連邦による北海道侵攻計画)
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第2極東戦線ロシア語: 2-й Дальневосточный фронт第2極東方面軍、もしくは第2極東正面軍とも)は、第二次世界大戦末期(ソ連対日参戦時)にソ連極東地域に設置された赤軍の方面軍級部隊である。

概要

1945年8月5日、極東戦線(第2赤旗軍、第15軍、第16軍、第10航空軍、第5狙撃軍団、第88狙撃大隊、カムチャッカ防衛地区)に基づき設置された。その外、赤旗アムール小艦隊と北太平洋小艦隊が、戦線の作戦統制下に入った。

8月9日~9月2日の戦略満洲作戦時、戦線は、アムール小艦隊と協同でスンガリ作戦を、北太平洋小艦隊と協同で南サハリン(南樺太)、クリル(千島列島)上陸作戦を行った。戦線主力は、スンガリ(松花江)、チチハル、ジャオヘイ方面で行動した。戦線部隊は、関東軍第4軍第一方面軍の一部と第五方面軍を撃破した。ソ連軍部隊は、チチハル方面で100~150km、スンガリ方面で300km前進した。第2赤旗軍はカロジャン、ルンジェン地区に、第15軍はサンシン地区に、第5狙撃軍団はボリ(勃利県)地区に進出した。

1945年10月1日、9月1日付最高司令部スタフカの命令により、第2極東戦線は解散され、その指揮機関は極東軍管区に再編された。

編制

  • 第2赤旗軍
  • 第15軍
  • 第16軍:司令官A.チェレミソフ少将
  • 第10航空軍
  • 第5独立狙撃軍団
  • カムチャッカ防衛地区:司令官A.グネチコ少将
  • アムール小艦隊ロシア語版
  • 北太平洋小艦隊英語版

指揮官

最終所属部隊

  • 第2赤旗軍
  • 第15軍
  • 第16軍
  • 第10航空軍
  • 第5独立狙撃軍団
  • カムチャッカ防衛地区

関連項目

外部リンク


第2極東戦線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 07:08 UTC 版)

ソビエト連邦による満洲侵攻」の記事における「第2極東戦線」の解説

マクシム・プルカエフ下の第2極東戦線は以下を含んだ。 第2赤旗軍(ロシア語版第15軍 (ソ連)(ロシア語版第16軍 (ソ連)(ロシア語版) 第5狙撃軍団ロシア語版アムール船隊ロシア語版) 第10航空軍 (ソ連)(ロシア語版) 第11航空軍 (ソ連)(ロシア語版) 第2極東戦線は攻撃任務への支援として展開された。目標ハルビン市チチハル市占領して日本軍満洲南部への後退妨害することだった。前線部隊には1940年代初めにソ連領内撤退した東北抗日聯軍中国人朝鮮人ゲリラから成る88独立狙撃旅団含んだ周保中率いられたこの部隊破壊工作偵察任務を行うため侵攻作戦参加するになっていたが、戦場へ送るには価値があり過ぎると見做された。この部隊戦闘任務から外され代わりにその後占領期間に解放され地域役所警察署指導職や管理職就任した。(将来独裁者金日成を含む) 第88独立狙撃旅団朝鮮人大隊第1極東戦線一部として、その後朝鮮解放後の活動支援する為に送られた。 第1極東戦線ザバイカル戦線部隊長春占領すると、第2極東戦線は遼東半島攻撃し旅順占領する予定だった。 極東司令部指揮下のソ連軍合計ザバイカル戦線第1極東戦線第2極東戦線兵員数1,577,725 654,040 586,589 337,096 大砲迫撃砲27,086 9,668 11,430 5,988 複式ロケット発射装置1,171 583 516 72 戦車自走砲5,556 2,416 1,860 1,280 航空機3,721 1,324 1,137 1,260 また、日本側の一資料では、以下の通りである。 総数師団80戦車機械化旅団40飛行師団32戦車自走砲5,250航空機5,171機 兵175 第1極東戦線キリル・メレツコフ狙撃師団31騎兵師団1個 戦車機械化旅団14大砲迫撃砲10,616戦車自走砲1,974両 第2極東戦線(マクシム・プルカエフ狙撃師団11戦車旅団8個 大砲迫撃砲4,781戦車自走砲917両 ザバイカル戦線ロディオン・マリノフスキー狙撃師団28騎兵師団5個 戦車師団2個 自動車化狙撃師団2個 大砲迫撃砲8,980門 戦車自走砲2,359両 各戦線は、軍団代わりに前線直接付随するfront units” を所有していた。戦力のおよそ1/3は、戦闘支援補給任務就いたソ連作戦計画では独ソ戦得られ機動戦での経験組み込まれている。

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