戦闘任務
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「BAe ハリアー II」の記事における「戦闘任務」の解説
ハリアーIIを受領した最初の飛行隊は、駐独英空軍(RAFG、en:Royal Air Force Germany)に所属していた。これは、ソビエト連邦の西側諸国への侵略を阻むためのもので、戦時には対地攻撃を実行することになっていた。ハリアーIIは、その元になったホーカー・シドレー ハリアーに比べて航続距離と生存性が大きく向上していたので、航空阻止任務に新しく重点が置かれた。1990年の年末には、ハリアーIIは複数の飛行隊で完全な作戦能力を得るところであった。1994年、イギリス空軍の最後の第一世代ハリアーが退役した。 1995年、ユーゴスラビア崩壊の影響によるクロアチア人とセルビア人の戦闘は、暴力のそれ以上の深刻化を防ぐためにNATO軍の派遣を促すことになった。ハリアーIIの飛行隊はイタリアのジョーイア・デル・コッレ空軍基地(英語版)に移動し、早期に配備されていたイギリス空軍のSEPECAT ジャギュアと交代した。攻撃と偵察の両方の任務が、作戦のために急遽GPS航法装置を組み込む改修をうけたハリアーによって実行された。126ソーティーを超える攻撃が英空軍のハリアーIIによって実行され、しばしばジャギュアが補助としてペイブウェイ IIのようなレーザー誘導爆弾のためにレーザー照射をおこなった。1994年、新しく導入されたGR.7が海軍のインヴィンシブル級航空母艦における運用試験のために配備され、海軍における実戦配備は1997年から開始された。このような運用は、後にハリアー統合部隊(英語版)の司令部のもとで正式化され、空軍のハリアーIIは日常的に海軍のシーハリアーと一緒に運用されるようになった。 1999年のコソボにおけるNATOのアライド・フォース作戦に、空軍は16機のパナヴィア トーネードと12機のハリアーGR.7を派遣した。1999年4月27日、セルビアの軍事施設を攻撃する任務では、空軍のハリアーは激しい対空砲火を浴びたが撃墜された機体はなかった。1999年4月、ハリアーが中高度爆撃任務においてGPS航法および照準を使うことができるように、交戦規定が変更された。この紛争で使われた弾薬の多くはレーザー誘導爆弾で、これは天候や煙により悪影響を被るが、全体で80%以上が直撃したと報告されている。 2003年、ハリアーGR.7は、アメリカの主導したイラク戦争におけるイギリスのテリック作戦(英語版)で主要な役割を果たした。紛争に先立って、空母「アーク・ロイヤル」とハリアーが派遣された 。戦争が始まると、ハリアーは偵察および攻撃任務でイラク南部の領空に侵入し、スカッドミサイル発射器を破壊して隣国クウェートに対する攻撃を防いだと報道された 。この戦争の前に、ハリアーは新しくAGM-65 マーベリックミサイルを装備していた。報道によれば、このミサイルは、イラクにおけるハリアーの運用に非常に貢献したとされている。 イラクの要衝である都市バスラの戦い(英語版)において、ハリアーは、敵地上車両を無力化するためにイラクの燃料貯蔵施設を攻撃する任務を何度も実施した。ハリアーのその他の重要な目標は、戦車、舟艇、そして、砲兵だった。ノルディーン(Nordeen)によれば、空軍のハリアーのすべての作戦のうち、おおよそ30パーセントが近接航空支援任務で、連合軍の地上兵力の前進を支援した。2003年4月、イギリス国防省は、イラクにおいて空軍のハリアーに議論の的であるRBL75(英語版)クラスター爆弾を配備していたことを認めた。イギリスとアメリカのハリアー飛行隊は、どちらも2003年の夏にイラクから撤退した 。 2004年9月、6機のハリアーGR.7がアフガニスタンのカンダハールに、アメリカが派遣していたAV-8Bの代わりに展開した。2005年10月14日、ターリバーンのロケット攻撃によって、カンダハール国際空港のエプロンに駐機していたハリアーのうち1機が破壊され、ほかに1機が損害を受けた。負傷者はなく、損害を受けたハリアーは修復され、破壊された機体は交換された。 2006年、ハリアーGR.7がアフガニスタン南部における国際治安支援部隊(ISAF)の任務の拡張の一環として、アフガニスタンに展開した。7月から9月までの間に計画された作戦や地上部隊の近接航空支援のために、イギリスのハリアーに供給された弾薬は179から539に増加し、そのほとんどはCRV7ロケットであった。ハリアーは固定武装として機関砲を持っていないため、あるイギリス陸軍の空挺連隊少佐はハリアーの航空支援能力をA-10と比較して、「まったく、まったく役に立たない」と評した。 2007年1月、ハリアーGR.9の最初の作戦配備が、NATOのISAFの一部としてカンダハールで開始された。アフガニスタンでの5年を超える継続した運用の後で、最後のイギリスのハリアーが、イギリス空軍のトーネードGR.4と交代して撤退したとき、8500ソーティーの飛行時間は22,000時間を超えていた。
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