戦闘中止
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/18 16:59 UTC 版)
ビスマルクではフッド撃沈に意気揚々たるものがあった。そしてプリンス・オブ・ウェールズを追撃し、これをも屠ってしまうのだと大方の者が予想していた。ビスマルク艦長のエルンスト・リンデマンはリュッチェンスにその許可を求めた。リンデマンは砲術の専門家で、プリンス・オブ・ウェールズがまさに手の中にあることを知っていた。たとえトーヴィー提督の戦隊がスカパ・フローを前日に発進していたとしても、プリンス・オブ・ウェールズを追撃して撃沈(リンデマンは2、3時間しかかかるまいと考えた)した後でもまだビスマルクから300カイリ(555 km)以上離れていると考えられた。しかしリュッチェンスはリンデマンに追撃の許可を与えず、また説明もしなかった。リンデマンは再度、より強硬に要請を繰り返した。リュッチェンスは、海軍総司令官エーリヒ・レーダーの命令 - 損害を拡大し、またイギリス海軍の待ちかまえる手の中にビスマルクを差し向けることになるような不必要な戦闘は避けるべし - にあくまで忠実だった。リュッチェンスはプリンス・オブ・ウェールズを追跡せず、戦闘を打ち切った。彼は戦隊を270度(ほぼ南西)に向けた。 2人の上級指揮官のこの意見の衝突は、彼らの行動の規範が相容れないものだったことの反映である。ビスマルク艦長のリンデマンは何をおいてもまず戦術家として行動した。それゆえ自艦の当面の目標がプリンス・オブ・ウェールズの撃沈であることに何の疑問も抱かなかった。そして、自ら固く信じていることを押し通そうとした。リュッチェンスは、艦隊の指揮官として、また作戦遂行の責任者として、戦略的な作戦レベルで行動した。ある意味で彼の命令は明確であった。第一の優先目標は輸送船団の攻撃であり、『限定的で、おそらく不確かな結果を得るために大規模な交戦を行う』リスクを冒すことではなかった。とはいえ、レーダーはまたリュッチェンスに、戦闘が回避できない場合は大胆かつ臨機応変にそれに臨み、積極的に戦い抜くことを指示してもいた。 肝心な点は、リュッチェンスの命令が、いままさに成し遂げられたような華々しい成功を目指したものではなかったということである。彼が固く保持した優先目標はもっぱら民間の輸送船団の撃沈であって、敵の軍艦との遭遇は極力避けるべきものであった。さらに、ドイツを出発する前に、リュッチェンスはコンラッド・パツィヒ提督とヴィルヘルム・マルシャル提督にレーダーの命令を固守すると宣言していた。この意味は、レーダーの命令を拒否したために更迭された艦隊司令官の3人目になるつもりはない、ということだった(マルシャルはその更迭された前任者のうちの1人だった)。それに加えて、リュッチェンスは自らの命令決定について部下の意見を求めるような性格ではなかった。 リュッチェンスは、仮に戦っている相手がキング・ジョージ5世でなく、公試の済んでいないプリンス・オブ・ウェールズであると知っていたとしても、その決定を翻すことはなかっただろう。プリンス・オブ・ウェールズを追撃することは、戦隊をノーフォークとサフォークからの更なる砲撃や魚雷攻撃にさらすことを意味しており、明確に禁じられた冒険に彼の戦隊と乗組員をさらすことになるのだった。 0619と0625の間にサフォークはビスマルクの方向に6回の斉射を行ったが、それはビスマルクと航空機のレーダー反応を取り違えたものであった。その時、サフォークはビスマルクとプリンツ・オイゲンのいずれからも射程外にいた。
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