もうひとつの奇跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 07:29 UTC 版)
「ブランデンブルクの奇跡」の記事における「もうひとつの奇跡」の解説
ブランデンブルクの奇跡と呼ばれるもうひとつの出来事は、ロシアの同盟離脱である。 1762年1月5日、エリザヴェータが死去すると、その後継者ピョートル3世はすぐに自国軍に戦闘中止を命じ、さらにはプロイセンとサンクトペテルブルク条約を結んでプロイセン側に立った。ピョートル3世が大王の崇拝者であったからである。エカチェリーナ2世のクーデターがあったためロシアが味方した時間はわずかだったが、ロシアが戦線離脱してくれただけでプロイセンには十分だった。オーストリアは度々の出兵で疲弊していたため外交革命を経てフランスと結び、ロシアとも同盟したのである。同年中にオーストリア軍はプロイセン軍によってザクセンからもシュレージェンからも叩き出されて、もはや戦争継続の能力を失った。 先に記したように、大王が奇跡と呼んだのは前者なのであるが、この2つの出来事はよく混同される。このような奇跡の経験は、ドイツ国民に、戦況劣勢でも耐えて状況の変化を待つことで形勢逆転の機会を得ることができるという信念を与えたとする論考もある。実際ヒトラーはそれを信じていたという。映画『ヒトラー 〜最期の12日間〜』の劇中においても、総統地下壕の一室でフリードリヒ大王の肖像画を見ながら物思いにふけるヒトラーの姿が描かれている。
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