論考とは? わかりやすく解説

ろん‐こう〔‐カウ〕【論考/論×攷】

読み方:ろんこう

[名](スル)論じ考察すること。また、その書かれ文章。「近代文学を—する」


論理哲学論考

(論考 から転送)

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論理哲学論考』(ろんりてつがくろんこう、: Logisch-Philosophische Abhandlung: Tractatus Logico-philosophicus)は、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインの著作。ウィトゲンシュタインが生前に出版したただ一つの哲学書であり、かつ前期ウィトゲンシュタインを代表する著作である。後期ウィトゲンシュタインの代表作である『哲学探究』が『探究』と略されるのに対し、この『論理哲学論考』は『論考』と略される。





論考

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間宮茂樹」の記事における「論考」の解説

「なぜ日本人戦略的発想が苦手なのか---戦略論哲学について」(年報戦略研究7<インテリジェンス>、戦略研究学会編、芙蓉書房出版2009年12月) 「国家と国民―国の利益個人利益」 (新聞国民協会1973年5月21日号)自由民主党国民協会懸賞論文佳作苦悩の道―日本の安全保障」(「防衛アンテナ1978年4月号)防衛庁懸賞論文準優勝 この項目は、学者関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者求めています(PJ:人物伝/P:教育)。

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論考

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座礁鯨」の記事における「論考」の解説

ともに東京大学医学部出身安部公房養老孟司集団自殺として論考を執筆している。

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悪役令嬢」の記事における「論考」の解説

いわゆる悪役令嬢もの」について、ライター青柳美帆子は、「主人公さまざまなキャラクターから好意向けられるが、基本的にはメインヒーローは固定であることが多い。少し変わり者の(しかし特別な少女が、定められ運命乗り越えるために、知恵や愛や勇気をもって行動していき、それが結果としてヒーロー心をつかむのだ」と述べコバルト文庫2000年代後半取り組んだただひとりのヒーロー」に愛される「姫嫁」「溺愛」と、角川ビーンズ文庫ビーズログ文庫による「ファンタジー」と「恋愛ラブコメディ)」との融合との関連指摘し少女小説系譜受け継ぐものとして位置付けている。ただ「小説家になろう発作品を少女小説として捉える作品受け入れの幅が狭まるではないかとの批判考えられBookLive男性向けライトノベルランキングでは主人公少女女性読者多く以前なら少女小説レーベル出版されていたかもしれない本好きの下剋上』『薬屋のひとりごと』がトップ10入り書籍市場の縮小対象者広くなって性別による区別実質を伴わなくなっているが、それでも少女たちの欲望全力応えるエンターテインメントとして少女小説らしさを感じるとする。 『悪役令嬢、セシリア・シルビィは死にたくないので男装することにした。』(秋桜ヒロロ)の担当編集者バッドエンド回避する物語だという目的が明確で読んでいて安心感があり、努力もなく逆ハーレム形成するではなく一所懸命努力して道を切り開く展開が現代女性読者共感されやすいとみている。 荻原魚雷この手異世界ものにおいて男は最強、女は苦境設定好まれ悪役令嬢もの共通するのは自立願望ヒロイン同性気を使うのも現代反映しているとみている。 悪役令嬢負けずヒロイン男性結ばれるハッピーエンドよくあるが、悪役令嬢作品負け立場であったキャラ主人公として運命守られ強大な存在である本来のヒロイン立ち向かうお約束へのカウンターともいえる。ただ、ちゆは従来ヒロイン貧困の中で労働にも励む健気な存在だが悪役令嬢作品主人公身分高くてメイド平民にも優しい違いはあるが、立場異なってお約束の域を出ていないことが多く悪役令嬢作品の裏表あるヒロインのせいで冤罪により誤解されつつも本当のことを分かってくれている男性キャラの存在というよくある展開は『キャンディ・キャンディ』とあまり変わらず濡れ衣によりピンチになるキャラは別でも主人公補正移ったたけでベースは同じであると指摘表面新しくみえてもその実古典的であるとしている。 吉田尚記2020年投稿サイト検索単語上位3つ悪役令嬢、ざまあ、婚約破棄であることに触れてから「令嬢、つまりリア充地位成し遂げた者は邪悪な者である」と事実かも知れない幻想があり、令嬢婚約破棄されたのをみて溜飲下げており、従来異世界転生ものは自分ギリギリ投影されていたが、2000年頃は普通の男子高校生が転生していたのが変化していき、筆者にすら読者層がよくわからないサイレントマジョリティが読むようになったのが自分と関係ないこのジャンルで、自らはもういい、先がないのは見えているからせめてうまくいっている人たちが悲惨な目に遭うのを見たい欲望駆られており、宇野常寛ワイドショー週刊誌SNS行われている自分より甘い汁を吸っているような人にスキャンダル起こったときに石を投げて溜飲しているのと同じだと言い吉田同意したまた、悪役令嬢物の中には肝心悪役令嬢出番が非常に乏しく、むしろ婚約破棄言い出した婚約者や彼を寝取ったヒロイン凋落して破滅していく様子を描く事に注力しているものも少なくない。つまり恋愛ゲームヒロインヒーローという将来幸せ約束された存在没落して破滅する様を見て溜飲を下げるというわけである。そもそも前述通り悪役令嬢該当するキャラ登場する乙女ゲーム自体が稀であるし、攻略対象婚約者がいるという乙女ゲームもまた少ない。少し考えれば分かるし、当の悪役令嬢物でも言及されているように政略結婚であろうと妻や婚約者のいる男性が他の女性うつつを抜かす、ある女性が妻や婚約者の居る男性言い寄って寝とる、どちらもイメージよくない不倫略奪愛テーマにした作品でもない限りそんな設定にするメリットはないので乙女ゲームでもそんな設定の物は少ない。にも関わらず悪役令嬢物のほとんどはメイン攻略対象には婚約者がいて、それが悪役令嬢という設定になっている。これは悪役令嬢被害者にして、元婚約者や正ヒロイン浮気したクズ、寝取ったクズにして思う存分、ざまぁするためと思われる

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幼馴染」の記事における「論考」の解説

フィクション作品よくある幼馴染同士恋愛について幼馴染カップルが目立つ『名探偵コナン』の研究書『コナンドリル』では好きなのに前から知った仲だと今更面と向かってはっきりと思い告げることは恥ずかしくできない悲喜こもごも複雑さ幼馴染恋愛甘酸っぱさの元で、現実では幼馴染容姿タイプではないときちんと認識するようになった以前優しくて大人になると性格変わってしまいフィクションほど恋愛には発展しないからこそフィクションの中で可愛く格好よく成長した幼馴染との恋愛がよく扱われるとみている。

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論考

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イーオー」の記事における「論考」の解説

ハンガリー神話研究カール・ケレーニイは、イーオーについて、「さまよい歩く月の牝牛物語」のヒロインとし、エウローペー(この物語ではゼウス牡牛の姿を取った)を探すカドモスが、牝牛横腹満月描いたとされる)の後を追ってカドメイア(のちのテーバイ)を創建した神話との共通性指摘している。また、ヘーロドトス著述では、イーオーヘーラーによって鼻鉗(はなばさみ)でアルゴスからエジプトまで追われたとし、エパポスは、これこそエジプトの神牛アーピスほかならないとする。イーオーエジプト人の女神イーシス似ていることの出典についてスーイダース挙げるイギリス詩人ロバート・グレーヴスは、アルゴス人々新月牝牛角に見立てて崇拝していた。このことからイーオーもたらす月の女神化身だったとするまた、イーオー物語は本来関係のない二つ物語原型にあり、これにいくつかの要素加わってできたのではないか考察している。二つ物語とは、ひとつは月の神獣である牝牛星々守られ大空をめぐる話で、アイルランド伝説にも同種の話がある。もうひとつは、ギリシア侵入したヘレーネスの指導者ゼウス)が月の巫女陵辱した話で、イーオーとは「牝牛の眼を持ったヘーラー異名ほかならない加えられ要素としては、追われて牛が狂い回る仕草は、雨乞い儀式であり、アルゴス人植民地エウボイア島からボスポロス、黒海シリアエジプトへと広がっていったことに伴い、この祭式東漸したことを示す。また、ギリシアにおけるイーオー信仰が、エジプトイーシスシリアアスタルテーインドカリそれぞれの信仰類似していることの説明であるとしている。

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ツンデレ」の記事における「論考」の解説

心理学ゲインロス効果合わせて言及されることがあり、それは4つパターン態度他人に接している映像見せた実験の結果最初冷たく後であたたかく接す態度が一番高く評価、ずっと優しい態度よりも冷たい人だと感じてから優しくされるとより嬉しくなることを示し、人はいつもよりプラス変化成長感じるほどに非常に気持ちよくなれるからで「ギャップ萌え」「ツンデレ正体」と表されている。 言葉が広まるにつれツンデレ二次元女性キャラであったものが、実在女性のみならず男性動物以外に対して使用されることが多くなった。エッセイスト杉浦由美子は、男性のツンデレキャラクターの増加について、それは女性キャラクター男性キャラクター好きになる理由付けとして効果的であるからだと述べている。つまり、男性恋愛パートナーを選ぶ際に容姿重視するので男性キャラクター女性キャラクター好きになる理由付けをするのは簡単であるが、女性恋愛パートナーを選ぶ際に内面性を重視する傾向にあるため、ツンデレという「外見中身ギャップ」をあらわす特徴持たせることが有効なのだという。 YU-SHOWはこの属性引き付けるのはシンプルに表すと葛藤する様の可愛さだが、それはよくあるもので恋愛ゲームで気の強いヒロイン好意持っていなかったヒロインデレると彼女が陥落したという喜び感じられたり、前から好意持たれていても本心を出せないのであれば葛藤自体シナリオとして成立受け手その様楽しめ、ある特別な理由ツンとした態度取っている場合はその真意を知ると熱い思い込み上げてくるからであるとする。 みやもはツンとデレ二面性心理学アンビバレンス通ずる点もあり、ツンデレツンな行動と思考デレな行動と思考4つ存在時間経過偽り本心組み合わせって二面性ギャップ生まれるのがこの属性構造で、現実なら酷いことをする人でもフィクションでモノローグによって本心知って悪印象与えないどころが可愛いとも思わず受け手感じてしまう工夫で、送り手受け手共犯空間作られ送り手側が積極的に裏切らない限り心地よいファンタジー安心感得られる分析男性ツンデレ同人用語である誘い受け(受け側があの手この手使って消極的だった攻め側に一線越えさせること)と比較してツンデレキャラは攻めのまま体も一線越えたり端的には実はデレていることだけが条件ツン攻めのまま相手合わさることも可能なツンデレは受け攻めどちらにもなれることが特徴で、2つ概念の差は両者の関係性を重視ているか個人内心本心ギャップ重視するかという微妙な違いであり、それは男女ユーザーキャラ求め快楽違いであるかもしれない指摘、またキャラデレきってしまうと持ち味失われてしまいツンからデレになる過程である「デレかけ」こそツンデレ醍醐味を簡単適切で言い得て妙なる表現だとしている。

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論考

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「やおい」の記事における「論考」の解説

やおいをテーマとした論考は、作家自身によるエッセイ的な評論からジェンダー論精神分析論・心理学サブカルチャー論といったものを元にした学術的研究まで存在し専門家による論考のほかに、学生卒業論文テーマとして選んだり、インターネット上で独自の論考発表する者も多い。大学講義テーマとして取り上げられることもある。 初期分析は、なぜやおい・BLジャンル愛好するのかという動機観点だった。この観点での分析は、BL作家でもある中島梓栗本薫)『コミュニケーション不全症候群』(1995年)が最初であり、当事者視点立った議論展開された。やおい・BLジャンル愛好するのは「男女差別の中で抑圧され女性性自傷行為走らせているからだ」という理解中心で、「女性女性という性であること自体に対しての強い不適応感」や、「女性選別される性として、他者からの承認によってしか自己肯定感を得ることができなかった」ということ問題視された。しかし、永久陽子『やおい小説論』(2005年以降は、抑圧からの逃避というより、女性によるジェンダー娯楽化であると理解され動機よりも作品で「なに」が描かれているかという観点シフトしてきている。 やおいを愛好する女性心理分析ではなく、やおいが社会にとってどのような役割機能効果果たしているのかについて考察するものもあらわれようになったカップリングの節で前述したように、やおいが異性愛秩序転覆させるものなのか再生産するものなのかというところが焦点となることも多い。

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論考

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小泉潤二」の記事における「論考」の解説

テクストとしての文化C.ギアツ文化解釈』」, 『社会学ベーシックス 第3巻 文化社会学井上俊伊藤公雄編、京都世界思想社292頁、2009

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論考(一部所収)

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ヤーコプ・ブルクハルト」の記事における「論考(一部所収)」の解説

※「ブルクハルト」論考の章を収録ハインリヒ・ヴェルフリン美術史論考-既刊未刊』(中村二柄訳、三和書房フリードリヒ・マイネッケランケブルクハルト』(中山治一岸田達也訳、創文社ピーター・ゲイ歴史文体 Style in History』(鈴木利章訳、ミネルヴァ書房第4章ブルクハルト 真理宣べる詩人」 ヴェルナー・ケーギ 『世界年代記』(坂井直芳訳、みすず書房1990年) - 第3章ランケブルクハルト」 ウード・クルターマン 『美術史学歴史』(勝国興・高阪一治訳、中央公論美術出版1996年エルンスト・カッシーラー認識問題4 ヘーゲルの死から現代まで』(山本義隆村岡晋一訳、みすず書房1996年第三部第五章政治史文化史 ヤーコプ・ブルクハルトヴィルヘルム・ディルタイ全集 第7巻 精神科学成立史研究』(法政大学出版局2009年第4章歴史家について イタリア・ルネサンスの文化ヤーコプ・ブルクハルト試みヘイドン・ホワイト 『メタヒストリー 一九世紀ヨーロッパにおける歴史想像力』(作品社2017年第2部一九世紀歴史記述における四種類の「リアリズム」-ブルクハルト 風刺としての歴史的リアリズム西村貞二歴史学遠近東北大学出版会1997年ブルクハルト書簡集完結」、「ブルクハルトホイジンガ」ほか関連論考 西部邁思想英雄たち 保守源流たずねて角川春樹事務所ハルキ文庫〉、2012年6章進歩への悲観―ヤーコブ・ブルクハルト」、(88-102頁に収録)。元版文藝春秋1996年角田幸彦キケロにおけるヒューマニズム哲学』(文化書房博文社2008年第5章「<歴史哲学者>ブルクハルト十九世紀ヨーロッパ論」を収録森本哲郎思想冒険者たち文藝春秋1982年 -「歴史巡礼者 ヤーコブ・ブルクハルト」 鈴木成高世界史における現代創文社1990年 - 第4章歴史家たち ヤーコブ・ブルクハルト」

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論考

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二年律令」の記事における「論考」の解説

宮宅潔 「張家山漢簡二年律令解題」 『東方学報』 76号、 京都2004年石岡浩・川村康・七野敏光中村正人著『史料からみる中国法史』(2012年法律文化社(第1講律令法体系どのように形成されてきたのか:隋から唐へ、執筆担当石岡浩)

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ジャイアニズム」の記事における「論考」の解説

ジャイアニズムという観点から発想得て執筆された論考などには、以下のようなものがある。 井口, 誠 (2008-12-15), “お前のモノ(ブックマーク)は俺のモノ,俺のモノ(ブックマーク)も俺のモノ”, 情報処理 49 (12): 1419-1420, https://ci.nii.ac.jp/naid/110007008037 (情報処理学会). 森田, 果; 松岡, 久和 (2008-02-15), “お前のものは俺のもの(1)優先権付与理論的構造”, エヌ・ビー・エル(NBL) (875): 29-37, https://ci.nii.ac.jp/naid/40015839403 (商事法務研究会). 森田, 果; 松岡, 久和 (2008-03-01), “お前のものは俺のもの(2)優先権付与理論的構造”, エヌ・ビー・エル(NBL) (876): 33-48, https://ci.nii.ac.jp/naid/40015872049 (商事法務研究会). 森田, 果; 松岡, 久和 (2008-03-15), “お前のものは俺のもの(3・完)優先権付与理論的構造”, エヌ・ビー・エル(NBL) (877): 39-53, https://ci.nii.ac.jp/naid/40015898614 (商事法務研究会). 森田, 果; 松岡, 久和 (2009), “お前のものは俺のもの――優先権付与理論構造”, 私法 2009 (71): 172-175, https://ci.nii.ac.jp/naid/130004669700 (日本私法学会).

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武田清子」の記事における「論考」の解説

武田清子二つの世界キリスト教 : 人間観課題として」『世界』第35号岩波書店1948年1月、 27-35頁、 ISSN 0582-4532、 OCLC 5181510878。 武田 清子学者として、妻として : ニーバー夫人のこと」『婦人公論』第34巻第11号1948年11月OCLC 5178961387。 武田清子山田坂仁佐木秋夫光の子と闇の子 : ニーバー思想をめぐる座談会」『理論第3巻第2号1949年2月、 33-50頁、 OCLC 5181731523。 關根正雄松木治三郎武田清子絶対平和主義現実主義 : キリスト教社会倫理問題として」『戰爭と平和について』、新教出版社1950年12月OCLC 672480929。 武田清子大須賀潔、山崎孝子ヨーロッパから帰つて : 武田清子氏に聴く(鼎談)」『基督教文化』第61巻、1951年11月、 12-29頁、 OCLC 5175602030。 武田清子臣民教育キリスト教人間観 (上)」『思想』第366号、1954年12月、 1417-1429頁、 ISSN 0386-2755、 OCLC 5182264018。 武田清子臣民教育キリスト教人間観 (中)」『思想』第367号、1955年1月ISSN 0386-2755、 OCLC 5182143670。 『日本人キリスト教教育新教出版社キリスト教教育講座 1〉、1958年OCLC 673443910。 武田清子天皇観相剋--連合国占領政策岩波書店1976年10月、260-275頁。OCLC 5181284482。 武田清子天皇観相剋-2-イギリス人にとっての天皇制岩波書店1976年11月、292-309頁。OCLC 5181285984。 武田清子天皇観相剋-3-「天孫民族世界征覇」観とオーストラリア岩波書店1976年12月、218-233頁。OCLC 5181283265。 武田清子天皇観相剋-4-中国人日本の「覇道主義岩波書店1977年3月、242-262頁。OCLC 5181281540。 武田清子天皇観相剋-5-無条件降伏の「鍵」』岩波書店1977年4月、301-315頁。OCLC 5181279201。 武田清子天皇観相剋-6完-敗戦と天皇制 :〈伝統主義支配変革ドラマ岩波書店1977年6月、116-153頁。OCLC 5181278855。 武田清子日本思想史方法-宗教思想を軸に』家永三郎教授東京教育大学退官記念論集刊行委員会三省堂1979年6月。NCID BN00374775。OCLC 7128357。 武田清子河合栄治郎自由主義論 : 昭和前期における思想的位置」『社会科学ジャーナル第21巻第2号1983年3月1-25頁、 ISSN 0454-2134、 OCLC 5172695547。 武田清子「女の戦後史-72-市川房枝 : 孤独に耐えつつイバラの道を拓く〔含 アプローチ : 市川房枝年譜〕」『Asahi journal』第26巻第35号朝日新聞社1984年8月24日、 36-40頁、 ISSN 0571-2378、 OCLC 5176606998。 武田清子キリスト教教育接点宮本武之助先生喜寿記念論集〉」『教育哲学研究』第50号、1984年、 90-94頁、 ISSN 0387-3153、 OCLC 5173936141。 武田清子清沢洌ファシズム批判 : 没後40年に際して」『世界』第475号、岩波書店1985年6月、 158-177頁、 ISSN 0582-4532、 OCLC 5181360282。 武田清子河合栄治郎自由主義論—承前—「大学の自由」をめぐって」『社会科学ジャーナル』第24巻第1号1985年10月1-21頁、 ISSN 0454-2134、 OCLC 5172696564。 武田清子天皇制について」『法学セミナー増刊 総合特集シリーズ』第33号1986年5月2-9頁、 OCLC 5172288751。 武田清子日本思想史立場から」『教育哲学研究』第53号、1986年、 12-17頁、 ISSN 0387-3153、 OCLC 5173937448。 TAKEDA, Kiyoko (1988). The dual-image of the Japanese emperor. New York Univ. Pr.. ISBN 9780814781784. OCLC 18051322 武田清子モーゼス-マイモニデス祈り」『教育哲学研究』第66号、1992年、 73-83頁、 ISSN 0387-3153、 OCLC 173941473。 武田清子大正期2つ教養主義」『日本古書通信』第57第9号1992年9月2-4頁、 ISSN 0387-5938、 OCLC 5178807516。 武田清子日本におけるリベラリズム」第123号、尾崎行雄記念財団1995年ISSN 1342-5765、 OCLC 5179000823。 武田清子天野正子「生活と思想と」『思想の科学 第8次』第35号1995年4-20頁、 ISSN 0389-8083、 OCLC 5180816690。 小林昇武田清子丸山真男追悼 大塚久雄〔含 年譜-著訳書〕」『みすず』第38第9号1996年9月、 17-39頁、 OCLC 5184108729。 武田清子丸山真男教授思い出 : 思想史研究歩みの中で」『創文』、1996年11月1-5頁、 ISSN 1343-6147、 OCLC 5173984689。 武田清子横浜バンド女性観 : 「日本の花嫁事件めぐって明治学院大学キリスト教研究所明治学院大学キリスト教研究所1997年。NCID BA35134324。OCLC 675073318。 武田清子講演 私の出会った丸山眞男 : 戦後日本座標軸」『世界』第704号、岩波書店2002年8月、 265-275頁、 ISSN 0582-4532、 OCLC 5181568295。 国際基督教大学社会科学研究所, 編纂.「湯浅八郎二十世紀」『社会科学ジャーナル第1巻49号、2002年10月、 29-53頁、 ISSN 0454-2134、 OCLC 5172703435。 国際基督教大学社会科学研究所, 編纂.「湯浅八郎二十世紀 : 昆虫学から〈同志社事件渦中へ」『社会科学ジャーナル第2巻50号、2003年3月1-24頁、 ISSN 0454-2134、 OCLC 5172703491。 国際基督教大学社会科学研究所, 編纂.「湯浅八郎二十世紀」『社会科学ジャーナル第3巻51号2003年9月、 29-58頁、 ISSN 0454-2134、 OCLC 5172703723。 TAKEDA, Kiyoko (2003). Higher education for tomorrow: International Christian University and postwar Japan. International Christian University Press. ISBN 9784998088110. OCLC 53304699 国際基督教大学社会科学研究所, 編纂.「湯浅八郎二十世紀」『社会科学ジャーナル第4巻52号2004年3月、 75-99頁、 ISSN 0454-2134、 OCLC 5172703913。 国際基督教大学社会科学研究所, 編纂.「Yuasa Hachiro and the 20th Century」『社会科学ジャーナル第3巻51号2003年9月59-61頁、 ISSN 0454-2134、 OCLC 5172703728。 「追放解除後、日米知的交流使節訪米市川さん : 武田清子さんに聞く」『女性展望第12巻第618号、2009年9月、 16-18頁、 ISSN 1345-7098、 OCLC 5173839527。 武田 清子「〈光の子と闇の子〉について」『聖学院大学総合研究所紀要』第48号2010年、 101-136頁、 ISSN 0917-8856、 OCLC 5176960757。

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論考

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触手責め」の記事における「論考」の解説

比較文学者のヨコタ村上孝之は、触手ものにおいて、通常の男性向けポルノグラフィ違って同一すべき主体通常のポルノグラフィでいう男性)が存在しない、あるいは存在したとしても事実上同一化することが不可能であることを指摘し男性オタクが性の主体性放棄していることと結び付けて論じている。これに対してライター堀あきこは、触手少年漫画少女漫画含め様々な分野描かれているモチーフであることから単純にオタクイメージ結び付けて論じるのは短絡的であると批判し、むしろ男性向けアダルトゲームなどにみられる男性キャラクター後景化・透明化する手法」の派生系考えることもできるとしている。

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論考

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熊谷光久」の記事における「論考」の解説

熊谷光久防衛力大きさ算定するための統計的関係式 (古垣源次郎教授追悼記念)」防衛大学校紀要 人文・社会科学351977年9月。 「江戸末期人的動員能力について軍事史学13-31977年12月。 「海軍兵学校教育軍部外から受けた影響について」軍事史学15-31979年12月。 「日本陸海軍派閥政治経済史学1721980年9月。 「日本陸海軍精神教育軍事史学16-31980年12月。 「旧陸海軍兵科将校教育人事--現代へ踏み台として (軍事史戦史<特集>)」新防衛論集8-31980年12月。 「大東亜戦争将師論--陸海軍将師の特質その背景をみる」国防30-11、1981年11月。 「大正軍縮における兵員整理日本歴史4021981年11月。 「明治維新における徴兵制--その背景考察軍事史学17-31981年12月。 「明治期西欧軍制輸入影響政治経済史学1941982年7月。 「軍事面から見た琉球処分政治経済史学2081983年11月。 「非武装琉球軍事史考察軍事史学19-41984年3月。 「近代日本軍備強化数量的分析政治経済史学2401986年4月。 「明治初期東京演習場運用問題政治経済史学2501987年2月。 「ペリ-提督日本遠征について--目的その背景軍事史学23-21987年10月。 「明治期における統帥権範囲拡大--伊藤博文抵抗軍事史学24-41989年3月。 「明治期陸海軍対立政治経済史学2771989年5月。 「「飛行第31戦隊誌」陸軍飛行第31戦隊友の会編」政治経済史学2841989年12月。 「「ペリ-来航前後山口宗之軍事史学26-11990年6月。 「海軍兵学校受験予備校--変遷とその原因政治経済史学3001991年4月。 「日本海軍兵科機関科対立顛末 (近現代軍事史諸問題-3-)」政治経済史学3121992年6月。 「明治期日本海軍における機関差別問題発生と変遷軍事史学29-21993年9月。 「日本陸海軍軍令勅令使い分け政治経済史学3531995年11月。 「日本陸海軍軍令継承軍政代理変遷問題点軍事史学32-21996年9月。 「明治期予備校出現退潮政治経済史学3711997年7月。 「毛利家海軍士官養成軍事史学35-1(137)、1999年6月。 「毛利水軍の船数と人員海軍史研究5、2000年3月。 「兵式体操から学校教練へ」政治経済史学4052000年5月。 「現役海軍将校商船学校配属軍事史学38-1(149)、2002年6月。 「情報活動関連日本軍参謀制度参謀養成歴史30-52005年1月。 「明治20年前後の軍の改革整備海軍要求政治経済史学4792006年7月。 「陸主海従思想への海軍対抗--海軍参謀本部設置問題中心に政治経済史学4952007年11月。 「海大教育卒業者人事取扱い--甲種一期生教育進級中心に政治経済史学508、2009年2月。 「明治期海軍軍医養成補充政治経済史学5242010年6月。 「明治期陸軍軍医養成補充制度軍事史学46-22010年9月

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論考

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沓切坂」の記事における「論考」の解説

府中市郷土の森博物館館長小野一之は、パルテノン多摩編『関戸合戦』の中で、『太平記』ベースにして創られた伝説地として沓切坂、白明坂(府中市武蔵台北山町)、浅間山府中市浅間町若松町)、松連寺日野市百草)などを挙げ、「当地『太平記』描かれる古戦場だったという認識前提に、塚や丘やその他いろいろな視覚的に映る事物総動員されて、『太平記』小劇場パノラマとして作られているのである」と述べている。

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論考

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沢山遼」の記事における「論考」の解説

絵画力学2020年都市否定的なものたち ニューヨーク東京1972年」『ゴードン・マッタ=クラーク展』カタログ東京国立近代美術館2018年。 「ウォーホル時間」『NACT Review 国立新美術館研究紀要第4号2018年。 「ニューマンパラドクス田中正之編『ニューヨーク 錯乱する都市夢と現実西洋近代都市芸術7)』竹林舎、2017年

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論考

出典:『Wiktionary』 (2021/08/20 14:09 UTC 版)

別表記

名詞

ろんこう

  1. じて考察すること。また、その文献

発音(?)

ろ↗んこー

動詞

活用

サ行変格活用
論考-する



品詞の分類


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