スンニ派とシーア派の対立、シーア派内部の対立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 14:01 UTC 版)
「イラク戦争」の記事における「スンニ派とシーア派の対立、シーア派内部の対立」の解説
フセイン政権下では人口の2割の少数派のスンニ派が支配していた。フセイン政権崩壊後はこれまで支配下に置かれていたイスラム教・シーア派勢力が政権の中枢に躍り出たが、スンニ派にとっては不満が残るものであった。 さらにイラク戦争から5年を迎えた2008年3月に入ると、そのシーア派内でも内部抗争が勃発。同派の強硬派であるムクタダー・サドル一派と政府との対立が表面化した。政府軍とマフディー軍が、同月25日にバスラで衝突したのを皮切りに、クート、ヒッラ、バグダードに拡大。マーリキー首相自身が陣頭指揮を執った、25日のバスラでの戦闘では双方合わせて31名が死亡した。26日にマーリキー首相は、28日までのマフディー軍の武装解除を要求、一方のサドルも前日のナジャフでの声明で徹底抗戦の構えを見せている。27日には両者の戦闘でバスラ近郊の石油パイプラインが爆破された。また同日には、米国のジョージ・ブッシュ大統領がオハイオ州での演説で政府軍支持を鮮明にした。更に、同日深夜にはバグダードで外出禁止令が発令された。翌28日には政府軍に同調した米軍が南部・バスラのマフディー軍施設を空爆した。同日にマーリキー首相は、マフディー軍の武装解除期限を4月8日まで延長すると発表した。30日にはサドル自身がマフディー軍に対し戦闘中止を呼びかけ、31日にはバグダードの外出禁止令が解除された。
※この「スンニ派とシーア派の対立、シーア派内部の対立」の解説は、「イラク戦争」の解説の一部です。
「スンニ派とシーア派の対立、シーア派内部の対立」を含む「イラク戦争」の記事については、「イラク戦争」の概要を参照ください。
- スンニ派とシーア派の対立、シーア派内部の対立のページへのリンク