スンナ派イラク住民とアルカイダの対立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 14:01 UTC 版)
「イラク戦争」の記事における「スンナ派イラク住民とアルカイダの対立」の解説
イラクのスンナ派の町では米軍に対する攻撃が盛んであるが、国外から侵入するアルカイダ系勢力に対しても外国の武装勢力だとして武力衝突が生じていた。その一方で資金力に優れるアルカイダと一部スンナ派武装勢力が対米攻撃で協力関係を結ぶなど、スンナ派地域へのアルカイダの浸透も進んでいた。 そこでアメリカ軍はイラクのアルカイダ系組織の幹部ザルカーウィーの脅威を強調し、ザルカーウィー派掃討を目的とした空爆などの過激な攻撃をスンナ派地域で繰り返した(結果として2006年6月のザルカーウィー殺害後もイラク情勢への影響はあまりなかった)。この時スンナ派の間では、攻撃による巻き添え被害の大きさからザルカーウィーを追放しようとする動きが強まった。 2007年に入り、アルカイダの過激な活動に反発するスンナ派市民までがテロの対象とされ、塩素ガスを用いたテロによる多数の被害者をだし両者間の溝が表面化した。4月には主要なスンナ派武装勢力のひとつ「イラク・イスラーム軍」が構成員30人をアルカイダに殺害されたとして、ビン=ラーディンに対する非難声明をだした。 こうした「反アルカイダのスンナ派」と「アルカイダ系スンナ派」の対立のなかで、アメリカ軍が反アルカイダのスンナ派部族と協力関係を持つなど、事態は一層複雑化している。6月25日バグダード中心部にあるマンスール・ホテルのロビーで発生した自爆テロでは、アルカーイダ系過激派との戦いに協力した6人のスンナ派部族指導者が殺害された。
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