バーリントンの湖上戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/12 15:35 UTC 版)
「オンタリオ湖での戦闘」の記事における「バーリントンの湖上戦」の解説
9月28日、両戦隊は再びヨーク湾で遭遇した。実際には、チョウンシーは陸軍のナイアガラ川からサケッツ港への移動をカバーしており、一方ヨーはナイアガラ半島の陸軍部隊に物資を届けたばかりだった。両戦隊は早朝に互いを視認した。両戦隊は北に向かい、ヨーがヨークに伝令を載せたボートを送ると、今度は方向を転じて強風の中を南に向かった。ヨー戦隊が前で風下だった。チョウンシーは、そのスクーナーの大半の帆走性能が悪いことに憤慨しており、快速船3隻(ジェネラル・パイク、新造の専用スクーナーシルフ、マディソン)が、スクーナーのアスプ、オンタリオ、フェア・アメリカンを曳航していた。 午後12時40分頃、ヨーが突然方向転換し、ジェネラル・パイクと行き違う間に舷側砲での交戦を挑み、さらにチョウンシー戦列後方の弱いスクーナーに攻撃を集中させた。しかし、チョウンシーも方向転換し、ジェネラル・パイクとヨーの旗艦ウルフが同じ方向に向かいながら舷側砲で交戦した。アメリカ側の砲撃でウルフのミズンマストとメイン・トップマストを倒した。ヨー戦隊の副司令官ウィリアム・マルカスター海軍中佐が、その乗艦ロイヤル・ジョージをウルフとジェネラル・パイクの間に割って入らせ、ウルフの乗組員がマストの残骸を除去して、オンタリオ湖の西端バーリントン湾を目指して風下に向かうまで、その帆を裏帆にしていた。 両戦隊は暫くの間白兵戦となり、チョウンシーの旗艦艦長アーサー・シンクレアがイギリス戦隊最後尾の艦船2隻(ベレスフォードとメルビル)を捕獲するよう進言したが、チョウンシーは「全てでなければ無だ」と叫び、ウルフを追跡させた。それでもアスプを曳航していた引き綱を解き放つことを拒んだので、アメリカの艦船は有効な射程内まで近づけなかった。 90分間続いた追跡劇の後、ヨーはバーリントン湾北岸沖で碇を降ろさせた。風は強風に変わり、アメリカ戦隊は散り散りになり、ジェネラル・パイク自体も損傷を受けていた。前部喫水線下に幾つか穴が開き、船首上甲板の大砲1門は爆発し、人的被害を出し、構造物も破壊されていた。他にも大砲数門が割れて使えなくなっていた。チョウンシーは戦闘中止を宣言し、後の報告書では、攻撃を続けたとすれば、イギリス軍もアメリカ軍もイギリス軍が保持する岸に座礁していたかもしれないと報告していた。
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