スターリングラード戦線とは? わかりやすく解説

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スターリングラード戦線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/05/30 15:35 UTC 版)

スターリングラード戦線ロシア語: Сталинградский фронтスターリングラード方面軍、もしくはスターリングラード正面軍とも)は、第二次世界大戦中の独ソ戦中期に2度にわたりソ連スターリングラード地域に設置された赤軍の方面軍級部隊である。

スターリングラード戦線(1941年7月~9月)

最初のスターリングラード戦線は、1942年7月12日、廃止された南西戦線(戦線の指揮機関、第21軍、第8軍)、並びに最高司令部スタフカ予備(第62軍、第63軍、第64軍)から編成された。事後、第28軍、第38軍、第57軍、第51軍、第66軍、第24軍、第1戦車軍、第4戦車軍、第16航空軍が配属され、ヴォルガ小艦隊とスターリングラード軍団防空地区が作戦統制下に入った。

南西方面でのドイツ軍の戦線突破と関連して、スターリングラード戦線は、敵のヴォルガへの進出の阻止、パヴロフスからクレツカヤまでのドン川沿い、クレツカヤ-スロヴィキノ-スヴォロフスキー-ヴェルフニェクルモヤルスカヤのラインの防衛を担当した。

1942年7月17日、ドイツ第6軍の前衛部隊が、ソ連軍第62軍および第64軍の先遣部隊と交戦、スターリングラード攻防戦が始まった。6日後、ドイツ第6軍主力が展開し、2週間後、ドイツ第4装甲軍がスターリングラード方面に投入された。

防衛地帯の拡大(約800km)と関連して、8月7日、戦線は、スターリングラード戦線(第63軍、第21軍、第62軍、第4戦車軍、第16航空軍)と南東戦線に分割され、8月10日、スターリングラード戦線は、南東戦線司令官の配下に入った。9月28日付スタフカの命令により、両戦線の統一司令部が廃止され、9月30日、スターリングラード戦線はドン戦線に、南東戦線はスターリングラード戦線に改称された。

編制

  • 第21軍 - 1942年7月12日~
  • 第8軍 - 1942年7月12日~
  • 第62軍 - 1942年7月12日~
  • 第63軍 - 1942年7月12日~
  • 第64軍 - 1942年7月12日~
  • 第28軍
  • 第38軍
  • 第57軍
  • 第51軍
  • 第66軍
  • 第24軍
  • 第1戦車軍
  • 第4戦車軍
  • 第16航空軍

指揮官

司令官:

  1. セミョーン・チモシェンコソ連邦元帥(1942年7月)
  2. ワシーリー・ゴルドフ中将(1942年7月~8月)
  3. アンドレイ・エリョーメンコ大将(1942年8月~9月)

軍事会議議員:

  1. ニキータ・フルシチョフ ウクライナ共産党中央委員会第一書記(1942年7月~9月)

参謀長:

  1. P.ボジン中将(1942年7月)
  2. D.ニキシェフ少将(1942年7月~9月)
  3. K.コヴァレンコ少将(1942年9月)

スターリングラード戦線(1942年9月~12月)

2度目のスターリングラード戦線は、1942年9月30日、第28軍、第51軍、第57軍、第62軍、第64軍、第8航空軍から編成された。同年12月、第5打撃軍、第2親衛軍が配属された。

1942年7月~11月、戦線部隊は、南東戦線及びドン戦線と協同で、防勢行動を取り、攻勢転移のための前提条件を創出した。11月20日、スターリングラード戦線は、攻勢に転移し、11月23日、南西戦線部隊と協同で、ヴォルガとドンの間に敵集団を包囲した。12月12日~30日、コテリニコフ作戦を行い、敵の包囲解除の試みを撃退し、敵集団を撃破した。

1942年12月31日、12月30日付のスタフカの命令に基づき、スターリングラード戦線は廃止され、これに基づき南部戦線が設置された。

編制

  • 第28軍 - 1942年9月30日~
  • 第51軍 - 1942年9月30日~
  • 第57軍 - 1942年9月30日~
  • 第62軍 - 1942年9月30日~
  • 第64軍 - 1942年9月30日~
  • 第8航空軍 - 1942年9月30日~
  • 第5打撃軍 - 1942年12月~
  • 第2親衛軍 - 1942年12月~

指揮官

  • 司令官:アンドレイ・エリョーメンコ大将(1942年9月~12月)
  • 軍事会議議員:ニキータ・フルシチョフ ウクライナ共産党第一書記(1942年9月~12月)
  • 参謀長:ゲオルギー・ザハロフ少将(1942年9月~10月)、I.ヴァレンニコフ少将(1942年10月~12月)

関連項目

外部リンク


スターリングラード戦線(1941年7月~9月)

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「スターリングラード戦線」の記事における「スターリングラード戦線(1941年7月9月)」の解説

最初のスターリングラード戦線は、1942年7月12日廃止され南西戦線戦線指揮機関第21軍第8軍)、並びに高司令部スタフカ予備(第62軍、第63軍、第64軍)から編成された。事後第28軍、第38軍、第57軍、第51軍、第66軍、第24軍、第1戦車軍、第4戦車軍、第16航空軍配属されヴォルガ小艦隊スターリングラード軍団防空地区作戦統制下に入った南西方面でのドイツ軍戦線突破関連して、スターリングラード戦線は、敵のヴォルガへの進出阻止、パヴロフスからクレツカヤまでのドン川沿い、クレツカヤ-スロヴィキノ-スヴォロフスキー-ヴェルフニェクルモヤルスカヤのライン防衛担当した1942年7月17日ドイツ第6軍前衛部隊が、ソ連軍62軍および第64軍の先遣部隊交戦スターリングラード攻防戦始まった6日後、ドイツ第6軍主力展開し2週間後、ドイツ第4装甲軍スターリングラード方面投入された。 防衛地帯拡大(約800km)と関連して8月7日戦線は、スターリングラード戦線(第63軍、第21軍、第62軍、第4戦車軍、第16航空軍)と南東戦線分割され8月10日、スターリングラード戦線は、南東戦線司令官配下入った9月28日スタフカ命令により、両戦線統一司令部廃止され9月30日、スターリングラード戦線はドン戦線に、南東戦線はスターリングラード戦線に改称された。

※この「スターリングラード戦線(1941年7月~9月)」の解説は、「スターリングラード戦線」の解説の一部です。
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