スターリングラードの聖母とは? わかりやすく解説

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スターリングラードの聖母

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/15 14:13 UTC 版)

『スターリングラードの聖母』
ドイツ語: Stalingradmadonna
作者 クルト・ロイバー
製作年 1942年
種類 素描
寸法 90 cm × 120 cm (35 in × 47 in)
所蔵 カイザー・ヴィルヘルム記念教会ベルリン

スターリングラードの聖母ドイツ語: Stalingradmadonna)は、塹壕のマドンナ[1]の呼び名でも知られる、1942年スターリングラードの戦いの前線において、ドイツ国防軍軍医だったクルト・ロイバー(1906年-1944年)によって描かれた聖母マリアの肖像画である。原画はベルリンカイザー・ヴィルヘルム記念教会で展示されており、現在では、第二次世界大戦の間、ドイツとその敵国だったイギリスロシアとの和解の象徴として、ベルリン大聖堂コヴェントリー大聖堂英語版、そしてヴォルゴグラードカザン大聖堂ロシア語版にも、複製が架けられている[2]

構図

この作品は、木炭によって描かれた、3フィートx4フィート(900mm x 1200mm)の大きさの簡単な素描である。巨大なショーツにくるまったマリアが幼いイエスを彼女の頬に抱き寄せている姿が描かれている。右側の端には、『ヨハネによる福音書』から引用されたLicht, Leben, Liebe(光、生命、愛)という言葉が書かれ、ロイバーは、左側の端にWeihnachten im Kessel 1942(1942年、釜の中のクリスマス)という言葉を配し、下側の端には、Festung Stalingrad (スターリングラード要塞) と書かれている。釜(Kessel)は、包囲を受けた軍事拠点を示すドイツ語の言葉であり、そして、スターリングラード要塞とは、包囲された軍を示す、ナチスの報道における呼称だった[3]

歴史

この絵画は、1942年12月にスターリングラードの戦いの前線において、ドイツ国防軍に所属する医師であり、プロテスタント牧師だったクルト・ロイバー中尉によって描かれた[2]。ロイバーは次のように書いている。

私は、何を絵画に描くべきか長い間考えた末、私は最終的に聖母、つまりは母親と子供を描く事を決意しました。私は凍り付いた泥に掘られた穴を制作場に変えたのです。穴が小さすぎて、絵をきちんと見る事ができなかったため、私はスツールの上に登って、そこからそれを見下ろす事で正確な遠近を確認しました。すべての物が何度も倒され、私の鉛筆は泥の中に消えました。大きな聖母の絵を立てかける台は、自分で作った傾いたテーブル以外なく、私はそこですし詰めの状態になって何とか制作しました。適切な画材などあるはずもなく、私は絵をロシアの地図の裏に描きました。しかし、私がどれほど夢中になって聖母を描いたか、それが私にとってどれほど大きな意味を持つかお伝えできればと思います。絵の構図は、母親と子供は頭を寄り添わせ、巨大なクロークで、2人はくるまれています。それは「安全」と「母親の愛」を象徴させる事を意図したのです。私は聖ヨハネの「光、生命、愛」という言葉を思い起こします。私にそれ以上何を付け加える事ができましょう? 私は、母親と一緒にいる子供という親しみやすく一般的な情景と、それらが象徴する安全という3つの物を提示したかったのです[3]

続けて、彼は次のように付け加えた。

すべての塹壕を回って男たちに向けて、私の素描を持ち運び、彼らと語らいました。しゃがみ込む彼らの様子ときたら! 彼らはまるで休日に愛する自宅で母親と共にいるかのようでした[3]

後にロイバーは、彼の部隊のお祝いをした際、彼の塹壕の中で素描をかけた。彼はそれを彼の指揮のもとにある兵士たちが分かち合う、キリスト教に対する献身の瞬間と表現した。

伝統的な慣習に従って、私がクリスマスの扉、つまりわが塹壕の板戸を開け、同僚たちが入ってくると、彼らは土壁にかけられた絵を前にして陶然となり、敬虔と感動のあまり、言葉もなく立ち尽くしていました。...絵の影響は祝賀の催しの全体に及び、彼らは思慮深く「光、生命、愛」という言葉を口にしていました。...指揮官であるか、ただの兵士であるかを問わず、聖母は外面的、内面的な瞑想の対象になったのです[4]

スターリングラードの聖母は、第16装甲師団英語版の大隊長だったヴィルヘルム・グロッセ博士によって、包囲を受けていたドイツ第6軍から離脱する最後の貨物機でスターリングラードから運び出された[2]。第6軍が降伏した後に捕虜になったロイバーは、1944年にソビエト連邦の捕虜収容所で没した[3]。スターリングラードの聖母とロイバーからの多くの手紙が、彼の家族のもとに届けられた。西ドイツ大統領のカール・カルステンスが、ロイバーの遺児たちに作品をベルリンカイザー・ヴィルヘルム記念教会に寄贈するよう働きかけるまで、それらは彼らの手元に置かれていた。1983年8月、寄贈の支援に当たった出版業者であるアクセル・シュプリンガー、ロイバーの3人の遺児たち、記念教会の理事会の長を務めていたルイ・フェルディナント公が参列して、献納を記念する式典が開かれた[5]

参照

脚注

  1. ^ ソフィア・ポリャコワ (2023年8月15日). “「スターリングラードの聖母」ドイツ軍の医師が戦場で描いたイコン”. ロシア・ビヨンド. https://jp.gw2ru.com/history/217210-zangou-no-madonna 2025年3月8日閲覧。 
  2. ^ a b c Perry, p. 7.
  3. ^ a b c d Stalingrad Madonna”. www.feldgrau.com. 2020年2月18日閲覧。
  4. ^ Perry, p. 11.
  5. ^ Perry, pp. 10-11

 関連文献

  • Joseph B. Perry, 'The Madonna of Stalingrad: Mastering the (Christmas) Past and West German National Identity after World War II', Radical History Review, Issue 83 (Spring, 2002), pp. 7–27.
  • Hans Gerhard Christoph, `The Madonna of Stalingrad: FLZ Bavariae S.8.March 2014

 外部リンク


スターリングラードの聖母

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 21:26 UTC 版)

カイザー・ヴィルヘルム記念教会」の記事における「スターリングラードの聖母」の解説

新し教会堂内にはスターリングラードの聖母(ドイツ語版)と呼ばれる木炭描かれ聖母を見ることができる。これはクルト・ロイバー(ドイツ語版)が1942年クリスマス包囲下のスターリングラードソ連赤軍地図の裏描いたものであり、「光・命・愛」という『ヨハネの福音書』からの言葉書き添えられている。彼はドイツ国防軍軍医中尉であると同時にアルベルト・シュヴァイツァー博士交流のあったヘッセン州福音主義教会牧師でもあった。ロイバーはソ連赤軍捕虜となった後、1944年1月収容所病死した。多くの手紙を送った妻子のもとに帰ることはかなわなかったが、彼の描いた聖母像最後の手紙一緒に息子のもとにもたらされた。戦後カイザー・ヴィルヘルム記念教会内に飾られ、現在に至る。 スターリングラードの聖母の複写が、ドイツ空軍による空襲大きな被害受けた英国コベントリーにある英国国教会コベントリー大聖堂ロシア連邦ボルゴグラードにあるロシア正教会大聖堂にも置かれている。

※この「スターリングラードの聖母」の解説は、「カイザー・ヴィルヘルム記念教会」の解説の一部です。
「スターリングラードの聖母」を含む「カイザー・ヴィルヘルム記念教会」の記事については、「カイザー・ヴィルヘルム記念教会」の概要を参照ください。

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