スターリングラード攻防戦の影響とは? わかりやすく解説

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スターリングラード攻防戦の影響

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/29 01:06 UTC 版)

スターリングラード攻防戦」の記事における「スターリングラード攻防戦の影響」の解説

コーカサス地方制圧目指し第1装甲軍などはソ連軍抵抗補給難からテレク河で前進止まっていたが、ソ連軍ドン川西岸進出により、退路断たれ壊滅する危険が生じた。しかし、マンシュタイン元帥指揮加えスターリングラード包囲網ソ連赤軍釘付けとなったため、ソ連赤軍サトゥルン作戦開始遅れたロストフソ連軍奪回したのは、第6軍降伏からわずか12日後の2月14日だった。この間に、クライスト上級大将第1装甲軍などは、クバン橋頭堡除いて、ミウス河まで撤退することができ、東部戦線南翼の崩壊という事態をなんとか逃れることができた。 ドイツ軍第6軍のすべてと第4装甲軍主力包囲殲滅されるという敗北終わった戦傷含めるとスターリングラード攻防戦通じて人的損害は、ドイツ陸軍兵力4分の1に当たる150万人におよび、3500両の戦車突撃砲3000機の航空機失われたコーカサス地方からの撤収成功したクライスト上級大将第1装甲軍膨大な重火器車両遺棄しており、ドイツにとっては数ヶ月分の生産量相当する損失となった1941年開戦時における戦線全域における攻勢失敗1942年における地域限定攻勢失敗、これらはドイツ陸軍にとって戦闘能力についての限界を示す重大な事柄であったまた、工業生産能力限界からこれ以降ドイツ軍東部戦線において広い正面攻勢かけられる兵力を持つことができなくなり決定的勝利を得るための攻勢起こす機会二度と得られなかった。ドイツ陸軍次の夏季攻勢は、バルコン呼ばれるような極めて狭い地域を巡る戦いになっている。もはやドイツ軍開戦前持っていた優位性失われていた。 枢軸同盟国は、ルーマニア第4軍イタリア第8軍がほぼ全滅ルーマニア第3軍ハンガリー第2軍部隊大半を失うなど甚大な損失出した。特にイタリア北アフリカ戦線劣勢になっており、ドイツからの離反図ったガレアッツォ・チャーノ外相更迭されるなどムッソリーニ政権大きな動揺がみられた。くわえて枢軸国であったトルコスペインドイツ側立って参戦する可能性が完全に失われたため、軍事的のみならず政治的外交的にドイツ受けた打撃甚大だった。 なおフランスパリメトロにはこの攻防戦での赤軍勝利を記念して命名されスターリングラード駅がある。

※この「スターリングラード攻防戦の影響」の解説は、「スターリングラード攻防戦」の解説の一部です。
「スターリングラード攻防戦の影響」を含む「スターリングラード攻防戦」の記事については、「スターリングラード攻防戦」の概要を参照ください。

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