ソ連対日参戦とは? わかりやすく解説

ソ連対日参戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/12 08:30 UTC 版)

ソ連対日参戦(ソれんたいにちさんせん)は、太平洋戦争の末期から終戦後にかけて日本本土や満洲国朝鮮半島樺太千島列島などで、日ソ中立条約を一方的に破棄して大日本帝国宣戦布告をし侵攻してきたソビエト連邦赤軍とそれぞれの地域を守備する日本軍の守備隊との間で勃発した一連の戦闘である。


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ソ連対日参戦

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日本本土の戦い」の記事における「ソ連対日参戦」の解説

詳細は「ソ連対日参戦」を参照 5月ドイツ降伏させたソ連は、8月日本宣戦布告した満州樺太千島列島侵攻した戦力多く太平洋方面戦闘本土決戦準備抽出されていた日本関東軍は、圧倒的な戦力侵攻するソ連軍蹂躙された。植民地であった満州国で多く日本人犠牲になり、内地である樺太千島列島でも多く住民らが自決した原爆投下ソ連参戦機に、ついに日本ポツダム宣言受諾決定し通告したその後ソ連11日樺太侵攻樺太の戦い)、18日になって千島列島北端である占守島にも奇襲侵攻した占守島の戦い)。守備隊占守島死守し、21日にはソ連停戦調停合意した。これによりソ連侵攻大幅に遅れ、その間米軍北海道進駐完了したため、ソ連侵攻避ける事が出来たソ連北海道共産圏として支配する事を目標としており、占守島占領され場合ソ連北海道進駐が可能となった可能性が高い為、占守島守備隊ソ連による北海道分割統治阻止した考えられている。

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