ソ連大使館捜索の影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 04:18 UTC 版)
4月10日、ソ連大使が本国に召還されソ連と中国の国交は断絶した。一方、ソ連は張に圧力をかけるためにモンゴルに大砲、弾薬、毒ガス、航空機を集中させている。北京のソ連大使館捜索によって、中華民国に反する活動をしていた共産党員は軍法会議にかけられ、北京大学教授李大釗らは処刑された。ソ連大使館で押収された書類には北京において工作活動、あるいは暴力に訴えるための4120名に及ぶ宣伝部員等の名簿やイギリス、フランス、日本に対する反抗的策動を目的とする委員会の調印文書など共産化の陰謀を示すものがあり、その内容はイギリス下院においてもチェンバレン外相から発表され、さらにイギリス国内ではアルコス事件が起き、イギリスとソ連との国交は5月27日断絶している。 張のソ連大使館捜索に続き、4月12日には蔣介石が上海クーデターを起こした。 「南京事件 (1927年)#中ソ国交断絶」および「在華ソビエト軍事顧問団」も参照
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