ソ連崩壊からウクライナ独立以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 07:23 UTC 版)
「2014年クリミア危機」の記事における「ソ連崩壊からウクライナ独立以降」の解説
詳細は「クリミア自治共和国」を参照 クリミア自治共和国を黄色に塗ったクリミア半島の地図 2008年、モスクワのユーリ・ルシコフ市長が黒海艦隊建設225年の式典で「クリミアの帰属変更は違憲」「セヴァストポリには軍事都市として独自の地位があった」と主張。これにたいしウクライナ政府は「1997年のセヴァストポリ基地貸与契約によって帰属は明らか」と反論しルシコフのウクライナ入国を禁止するとともに、基地貸与契約を2017年で打ち切ることを検討し始めた。ウクライナはグルジアとともに2008年のNATO首脳会議で「将来の加盟」を約束されたが、ロシア下院はウクライナがNATO加盟への道筋をつけた場合は同国との友好条約をすべて破棄すると圧力をかけていた。
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