ソ連崩壊とウクライナの独立(1991年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 15:47 UTC 版)
「クリミアの歴史」の記事における「ソ連崩壊とウクライナの独立(1991年)」の解説
ペレストロイカの開始後、長らく中央アジアで続いてきたクリミア・タタール人の帰還運動が問題となった。ソ連中央政府はこの問題を検討するために発足させた委員会において、タタール人のための自治共和国を再興する要求を1988年に却下したが:198、1991年1月20日にクリミア州住民による住民投票が実施され、2月12日にウクライナ議会によってクリミア自治ソビエト社会主義共和国が再建された。 1991年8月19日、ソ連8月クーデターが発生し、クリミア半島のフォロス(英語版)の別荘で休暇中だったミハイル・ゴルバチョフ大統領が軟禁された。クーデターとその失敗によりソ連の崩壊が早まり、8月24日にウクライナ議会は独立宣言を採択した。12月1日、ウクライナの完全独立の是非を問う住民投票が行われ、ロシア系住民が過半数を占めるクリミアでも有効投票の過半数となる54%が賛成票を投じた:251。12月25日にゴルバチョフは大統領を辞任し、クリミアは完全独立したウクライナの一部となった。
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