ソ連崩壊後のキリル文字使用言語の減少
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 19:16 UTC 版)
「キリル文字」の記事における「ソ連崩壊後のキリル文字使用言語の減少」の解説
1991年のソビエト連邦崩壊後、キリル文字を使用していた諸国のうちいくつかは使用文字をラテン文字へと変更する傾向が顕著になった。こうした移行の背景には、ソビエト連邦、およびその主流となってきたロシア的なものへの嫌悪感があり、キリル文字から文字を変更することによって過去からの決別を行うことを目的としていた。また、世界で最も使用される文字であるラテン文字を使用することで世界とより深く結びつくことも目的とされた。 ソ連時代にアラビア文字からラテン文字化され、更にキリル文字化されたアゼルバイジャン語・ウズベク語・カラカルパク語・トルクメン語では、独立後ラテン文字が再び採用され徐々に切り替わりつつあり、他にいくつかの言語で、これに続こうとする動きがある。モルドバにおいても1989年には再度表記をラテン文字に改めることが決定され、ふたたびラテン文字使用国となった。上記のようにウズベキスタン、トルクメニスタン、アゼルバイジャンは1990年代にラテン文字表記に移行した。キリル文字使用国として残っているキルギスやタジキスタンにおいても、ラテン文字移行やアラビア文字回帰の議論は2000年代後半から盛んになってきている。 カザフスタンにおいてはソ連崩壊後もキリル文字の使用が続いてきたが、2006年にラテン文字への切り替え構想が浮上。2017年4月、同国のヌルスルタン・ナザルバエフ大統領はカザフ語の表記をラテン文字に改め、2018年には学校教育においてラテン文字の使用を開始し、2025年には完全にカザフ語表記をラテン文字に移行することを表明した。2017年時点で既に多くの企業・銀行や劇場にある看板、車のナンバープレート、郵便番号などがラテン文字になっており、若者の間ではラテン文字を使うことが流行になっている。移行完了までの総費用は約3億ドルと予想されている。また2003年以降、紙幣と硬貨にはカザフ語とロシア語の併用が認められてきたが、2019年2月にはカザフ語のみの使用とし、記念貨幣には外国語の使用も認めるという大統領令が発布された。 ナザルバエフ大統領は「ロシア語とロシア文化を忘れることはない」と言明しているが、カザフスタン国内ではラテン文字化政策は世界に開かれた国づくりの一環とみなされている。しかしながら、ウズベキスタンではラテン文字へ切り替えて20年以上たったものの、依然としてキリル文字も幅広く使用されており、特に中高齢層ではキリル文字が一般的なままである。また、文字表記の移行には莫大な予算がかかるという欠点も露呈している。さらに、民族問題の複雑さも絡んでおり、特にカザフスタンのようなロシア系住民の割合が高い国では問題となりかねない。 モンゴルにおいてはソビエト崩壊後の1994年にモンゴル文字へと再び文字を切り替える動きが出たものの、モンゴル文字を自由に使いこなせる人間が少ないことや、モンゴル文字は横書きができないこと、文字を切り替えた後で言語変化が起きており、モンゴル文字ではキリル文字にくらべて新しい語彙への対応ができていないことなどからこの運動は失敗し、引き続きキリル文字を主に使用する状況が続いているが、モンゴル国会は2020年3月18日、2025年までにモンゴル文字表記の併用を推進し、最終的にモンゴル文字への移行を目指す方針を決めた。
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