ソ連崩壊後の移住者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 03:02 UTC 版)
1980年代後半のペレストロイカ期から1991年のソビエト連邦の崩壊、それに続くロシア連邦や独立国家連合諸国の成立により、貿易関係の縮小はあったものの、日本と旧ソ連地域の間の人的交流は以前と比較してずっと容易になった。日本への在留人数は、1990年はソ連全体で340人だったのが、2009年にはロシアのみで7814人、旧ソ連15カ国合計では11506人となり、20年弱で33倍にも達した(日本の外国人参照)。北海道や新潟県、富山県など、北日本や日本海側を中心にロシア人との交流も進んでおり、ロシア人船員が上陸するようになった稚内や根室、留萌、小樽、富山県小杉、にはキリル文字も併記されている道路標識や商店などが増えた。 学術面では横浜市立大学に国際政治学者のブラギンスキーが亡命者以外では初のソ連出身の助教授として着任し、経済面でも中古車輸出などのため日本に滞在するロシア人商人が増加している。また、「ロシアンパブ」としてロシア人やウクライナ人、ルーマニア人の女性が接客する飲食店も多く営業したが、売春などの犯罪例が増加したため日本政府が入国管理を強化した結果、こちらは減少した。 ソ連崩壊でかつての手厚い保護が失われたものの、指導水準は依然として世界のトップクラスにあるとみられたロシア人(旧ソ連人)のスポーツ指導者が世界各地に新天地を求める中、一部は日本へ移住した。最も有名な例の一つは、オリンピックの体操競技で金7個・銀5個・銅3個と計15個のメダルを獲得し、その後は日本で塚原直也のコーチを務めたアンドリアノフである。現役選手でも優秀なアマチュア選手を日本でプロに転向させる例があり、ボクシングではソ連から来日してプロ転向したアルバチャコフとナザロフが世界チャンピオンになった。 大相撲でも、南樺太出身でウクライナ人の父(ボリシコ)を持つ元横綱、大鵬の下に弟子入りした露鵬(ロシア人幕内力士第一号)とその弟の白露山など北オセチア共和国の首都ウラジカフカス出身のロシア人力士の台頭が目立ったが、同兄弟と若ノ鵬の3人の関取は大相撲ロシア人力士大麻問題により解雇され、この際に白露山の師匠であった北の湖が日本相撲協会理事長を辞任する大事件となった。しかし、2010年9月場所では若ノ鵬の従弟である阿覧が関脇に昇進し、唯一のロシア国籍幕内力士として、引退する2013年まで土俵に登った。旧ソ連地域出身者としてはグルジアから2006年に小結に昇進した黒海や、その後輩の栃ノ心と臥牙丸が活躍している。また、エストニアから来日した把瑠都は2010年5月場所で大関に昇進した。
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