ソ連撤退後の戦闘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2009/04/23 11:09 UTC 版)
「アフガニスタン侵攻 (1979)」の記事における「ソ連撤退後の戦闘」の解説
ジャララバードの戦い ソ連軍の撤退後の1989年3月~7月、ムジャーヒディーン各派はジャラーラーバードに総攻撃を行った。連日の猛攻にもかかわらずムジャーヒディーン側は敗北し1万人が戦死したといわれる。敗因はムジャーヒディーン各派の間で意思の疎通がとれておらず、統一した指揮系統ができていなかったことがあげられる。これに対しソ連流の訓練を受けた政府軍は善戦しムジャーヒディーン側を敗退させた。またソ連も空輸により政府軍を支援した。政権交代は時期尚早と考えた米国CIAとパキスタン軍情報部がムジャーヒディーン側が勝利することがないよう内部工作を行っていたという説もある。この戦闘には後に米国同時多発テロに関与していたと思われるオサマ・ビンラディンも参加していた。この政府軍の勝利により共産政権は1992年まで延命することになる。
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