ソ連時代の弾圧
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/18 23:40 UTC 版)
20世紀に入り、1917年のロシア革命によって無神論を奉じるソヴィエト政権が成立すると、ロシア正教会の多数の聖堂や修道院が閉鎖され、財産が没収された。後に世界遺産となるソロヴェツキー修道院は強制収容所に転用された。 「ロシア正教会の歴史#ソ連:無神論政権による弾圧の時代」も参照 教会側の対応は、ロシアに残って白軍に協力して共産主義勢力に抵抗する者や、ロシアに残って共産主義勢力に一定程度妥協する者、亡命する者、などに分かれたが、やがて共産主義に抵抗する者は白軍とともに一掃され、殺害されるか国外に亡命するかのいずれかに至った。 聖職者や信者が外国のスパイなどの嫌疑で逮捕され、また多数の者が処刑され致命した。日本正教会の京都主教を務めていたことのあるペルミの聖アンドロニクは、生き埋めにされた上で銃殺されるという特異な致命を遂げたことで知られている。ニコライ2世をはじめとする皇帝一家も銃殺刑に処された。 1921年から1923年にかけてだけで、主教28人、妻帯司祭2691人、修道士1962人、修道女3447人、その他信徒多数が処刑されたが、1918年から1930年にかけてみれば、およそ4万2千人の聖職者が殺され、1930年代にも3万から3万5千の司祭が銃殺もしくは投獄された。1937年と1938年には52人の主教のうち40人が銃殺された。 「アンドロニク・ニコリスキイ」も参照 これらの犠牲者がソ連崩壊後、新致命者として列聖されることとなった。2000年8月の時点でその列聖の対象者は860人を数えた。
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