ソ連時代以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 16:46 UTC 版)
ロシア革命後のロシア内戦では、交通と産業の中枢であるロストフ・ナ・ドヌは白軍と赤軍が争奪する戦地となった。1928年にはロストフ州が成立し、19世紀以来コサックのドン軍県の行政中心地だったノヴォチェルカッスクからロストフ・ナ・ドヌに中心が移った。同年、ロストフ・ナ・ドヌは、ノル・ナヒチェヴァン(ナヒチェヴァン・ナ・ドヌ)の街も併合した。2つの街の間に広がっていた麦畑は、現在はロストフ・ナ・ドヌの中央広場である劇場広場になっている。1929年には巨大な農作業機械工場ロストセルマシュ(Rostselmash)が完成し、同社は現在でもロシアのトラクター市場の半分以上のシェアを占め、世界的にも大きな存在感を持つ。一方で、ソビエト連邦時代の宗教抑圧政策により、1908年完成のアレクサンドル・ネフスキー聖堂と1807年完成のナヒチェヴァン・聖ゲオルグ聖堂の2つのランドマークが解体されてしまった。 さらに、第二次世界大戦(独ソ戦)でロストフ・ナ・ドヌの街全体も廃墟と化した。1941年秋にはドイツ国防軍がロストフを占領し、死守する赤軍との戦闘は7日間続いた。ロストフ・ナ・ドヌは鉄道路線の中枢であり、鉄道と水運の連絡点であり、金属や石油が豊富なカフカースへの玄関でもあるためドイツ軍にとっては非常に重要であった。しかしこの時の攻撃ではドイツ軍は撃退された(ロストフの戦い)。1942年夏にはドイツ軍は再度ロストフ・ナ・ドヌを攻め、赤軍を撤退させた。この時の占領は7カ月続いた。戦後の再建には10年以上の年月が必要であった。 ヴォルガ・ドン運河が1952年に建設されるとロストフ・ナ・ドヌは黒海、アゾフ海、カスピ海、白海、バルト海の五つの海とつながるようになった。 ソビエト連邦の崩壊後は経済が低迷したが、その後の回復でロストフ・ナ・ドヌも復活しつつある。石油や鉱物資源の豊富な後背地を抱え、技術力も有するこの街は新たな工業や商業の中心になりつつある。
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