ソ連末期の日ソ蒙共同研究
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 15:12 UTC 版)
「ノモンハン事件」の記事における「ソ連末期の日ソ蒙共同研究」の解説
1980年代末期から、消滅した満洲国を除く日本、モンゴル、ソ連の3当事国の学者たちによる共同の働きかけにより、この軍事衝突を研究する国際学会が1989年にモンゴルの首都ウランバートル、モスクワで、1992年に日本の東京で開催された。東京の学会は「ノモンハン・ハルハ河戦争国際学術シンポジウム」と名づけられ、席上、ロシア連邦軍のワルターノフ大佐は、従来非公開だったソ連・モンゴル軍全体の損害(死傷者および行方不明者)について、日本軍よりも多くの損害を出していたことを明らかにした。2009年9月、軍事史学会と偕行社近現代史研究会が主催し、シンポジウム「ノモンハン事件と国際情勢」が開催された。
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