ソ連時代に「映画史上もっとも有名な階段」に
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 19:24 UTC 版)
「ポチョムキンの階段」の記事における「ソ連時代に「映画史上もっとも有名な階段」に」の解説
階段はセルゲイ・エイゼンシュテインの1925年のサイレント映画『戦艦ポチョムキン』で有名になった。作品の中の架空の場面によれば、1905年の7月14日に、兵士たちが階段にいる人々に発砲したのである。ジャーナリストのコルネイ・チュコフスキーによれば、かれは事件当時オデッサにいたのだが、コサック兵が階段の上にいたかどうか、人々で階段がいっぱいになっていたか、発砲が実際に行われたかは不明であるという。 エイゼンシュテインの映画にて、実際にあらゆる都市で発生した戦慄すべき出来事はこの階段において凝縮されたのである。同様のメソッドは後世の写真家に使用され、芸術家のアレクセイ・チタレンコは「影の都市」のシリーズで、サンクト・ペテルブルクの地下鉄の駅の近くの階段にいる、どん底の人々からなる群衆を、人間の悲劇の象徴の一つとして使用している。 ロジャー・イーバートが書いた映画批判にはこう記されている。 「 皇帝派たちによるオデッサの階段の虐殺は、事実ではなかったことが、このシーンの説得力を減少させた…エイゼンシュテインがこのシーンをあまりに素晴らしいものにしたために、今日ではオデッサの階段の流血がまるで本当に起きたかのように頻繁に言及されるのは皮肉なことである。 」 淀川長治は『戦艦ポチョムキン』の解説でこう述べている。 「 後にこの階段は、どれだけパロディーで使われたかわかりませんね。エイゼンシュテインは本当に映画、良くつくりました。立派でした。 」
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