敗因
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 15:35 UTC 版)
「2004年アテネオリンピックの野球競技・日本代表」の記事における「敗因」の解説
決勝トーナメント準決勝でオーストラリアに敗れた原因として、7回の攻撃時に投手ジェフ・ウィリアムスに対し藤本敦士に代わる右の代打に適任者がいなかったケースのように、プロ・アマ合同でメダルを逃したシドニーオリンピックの反省からドリームチーム構想を掲げながら、各球団の思惑もあって乗り越えられなかった2人枠が足かせとなったことや、中畑が「予選リーグから9連勝と金メダルがセットになり息が抜けなかった。初のオールプロ代表で負けられない意識が強かった」と語ったように、全勝にこだわりすぎたことが挙げられる。日本チームのレギュラーと控え選手に力の差があったのに対し、キューバやオーストラリアは予選リーグで選手交代も行いながら4位を確保したことから、決勝トーナメントへの照準の合わせ方も指摘されている。また解説者の衣笠祥雄は「気持ちが空回りしていたとしか言いようがない」「松坂はよく投げたが、打撃のほうは入れ込みすぎて普段の力が出なかった」「粘り、つなぐ野球といったものが消えていったように思えた」とコメントしている。また、コーチの高木豊は、オーストラリア戦の敗因として、日本ベンチに直射日光が当たって体感温度が10度違ったことを挙げている。 選手はプロから選出されているものの周辺スタッフがアマ側のみだったことから、今後は国際大会での経験不足を補うシステムや代表チームを支える体制作りが不可欠とされている。 また、当時の代表はオーストラリア代表を比較的やりやすい相手と見ていたらしく、中畑は後のインタビューでスコアラーから何をやっても勝てると報告が入っていたが、いざ試合に入った時はピッチャーの球が想定以上の速さのために焦ったと語っている。なお、オーストラリアの捕手であり元中日のデーブ・ニルソンは日本時代の経験を活かして日本の野球を研究しており、何度やっても勝てると発言していたという。 さらに、中畑は試合前日でも対戦相手の試合を観なかったことが報じられており、観光に出かけていたことも報じられている。
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