ソ連崩壊後の択捉島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 00:51 UTC 版)
1991年に、後に成立したロシア連邦が実効支配を継承した。1994年(平成6年)秋に発生した北海道東方沖地震後、人口は減少傾向にあった。 そのような状態の中、ユダヤ系ロシア人のアレクサンドル・ヴェルホフスキーが創業した水産加工のギドロストロイ(Гидрострой)社(本社は豊原市(ユジノサハリンスク))が、周辺の豊富な水産資源と北米の冷凍食品市場とを結びつけて、1990年代後半以降瞬く間にめざましい成長を示し、同島の経済基盤は強固なものとなり現在に至る。なお、同社は現在、別飛(露: レイドヴォ Рейдово)に、米国製の機械を備えた日産400tの加工が可能な大工場をもつほか、蓄積した豊富な資本を元に択捉銀行(БАНК ИТУРУП)を設立し、金融業にも乗り出している。しかし、日本政府が領土問題に関連して取引きの規制を行っているので、日本企業はこのビジネスチャンスに公式には協力できていない。 地下資源もあり、北部の茂世路岳(1124m、露: クドリャブイ火山 Влк. Кудрявый、英: Medvezhia)は、その火山ガスにレアメタルであるレニウムを大量に含有している。このため、ロシア科学アカデミーの科学者たちは、レニウムの世界有数の産出源になり得る火山と見なしている。また、金鉱開発の可能性も指摘されている。
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