ソ連崩壊とその後とは? わかりやすく解説

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ソ連崩壊とその後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 05:14 UTC 版)

ソ連型社会主義」の記事における「ソ連崩壊とその後」の解説

この動き容認したゴルバチョフソ連複数政党制導入して共産党連邦政府権力分離し社会主義イデオロギー色を抜いた上で民族共和国共同体としてソビエト連邦再生することを考えた1990年ソ連憲法改正され共産党一党支配否定されたことで、従来ソ連型社会主義実質的に終焉した。 ゴルバチョフソ連大統領共産党書記長兼任したが、共産党急速に求心力失い、これに危機感抱いた軍やKGB保守派首脳部国営軍需産業企業経営者支持して発生した1991年ソ連8月クーデター失敗すると、ゴルバチョフ共産党解散宣言したソビエト連邦自体構成共和国自立進み改革派として共産党から脱退した経験持ち1990年6月にはロシア共和国主権国家宣言行っていたボリス・エリツィン同国大統領1991年12月8日ウクライナベラルーシ加えた3国でベロヴェーシ合意を結び、連邦存在意義がほぼ喪失したのを受けて同年12月25日ゴルバチョフ大統領辞任職務停止)を宣言しソビエト連邦解体された。 ソ連後継国家となったロシアではエリツィン政権首相となったエゴール・ガイダル進めた軍需産業民生転換を含む急速な民営化プログラム急速なインフレ招きエリツィン結んで旧国営企業格安入手した一部新興財閥オリガルヒ)の極端な富裕化と一般大衆さらなる窮乏並行し1998年にはロシア財政危機発生した。旧KGB出身2000年大統領となったウラジーミル・プーチン新興財閥への締め付け強化し外資導入利用した民生部門の成長による経済発展国民生活の向上を達成したが、テレビメディアの政府独占象徴される言論統制の再強化南オセチア紛争による大国主義復活などで示されるソ連時代への回帰指摘されゴルバチョフなどからは自由化後退などという批判受けている。また、ペレストロイカ期では改革派寄りゴルバチョフ支えたカザフスタンヌルスルタン・ナザルバエフ大統領連邦崩壊後も長期政権維持して縁故者による支配体制固めベラルーシではアレクサンドル・ルカシェンコ大統領反対派抑圧して欧州最後の独裁者」と批判浴びるなど、多く旧ソ連諸国では経済面での資本主義化・外導入進めながらも「ソ連型社会主義」の影響強く残っている。 なお、日本共産党ゴルバチョフ時代ソ連共産党との関係を正常化していたが、ソビエト連邦の崩壊に際して宮本顕治は「歴史的巨悪の党だったソ連共産党解体を、諸手上げて歓迎する」と発言した一方日本社会党やその左派リードした社会主義協会親ソ派にとってはソ連崩壊大きな打撃となり、社会党後継政党である社会民主党旧社会党左派一部結成した新社会党にも影響残っている。これらの左派政党自由民主党中心とする保守勢力から「体制選択論」などとしてソ連崩壊攻撃材料利用され1990年代後半からの党勢衰退へとつながった

※この「ソ連崩壊とその後」の解説は、「ソ連型社会主義」の解説の一部です。
「ソ連崩壊とその後」を含む「ソ連型社会主義」の記事については、「ソ連型社会主義」の概要を参照ください。

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