旧社会党とは? わかりやすく解説

旧社会党(SFIO)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/30 17:10 UTC 版)

社会党 (フランス)」の記事における「旧社会党(SFIO)」の解説

詳細は「フランス社会党 (SFIO)」を参照 フランスにおける社会主義政党起源は、第三共和政発足した1870年代まで遡ることができる。さまざまな思想背景成立した諸政党は、1902年までにジュール・ゲード中心とする左派フランス国社会党PSDF)と、ジャン・ジョレス中心とする右派フランス社会党(PSF)まとまり、この2党は1905年第二インターナショナル労働者インターナショナル)の提言受け入れ第二インター・フランス支部としての(旧)社会党SFIO / 「統一社会党」とも)に統合された。SFIO結党後9年第一次世界大戦の勃発直面し反戦唱道していた指導者ジョレス右翼暗殺された後にはゲードが入閣するなど、政府戦争遂行政策協力した。 ところが大戦末期頃から主流派反対反戦唱える党内左派勢力増しロシア革命成功にも影響され主導権掌握した左派1920年コミンテルンへの加盟決議して党を共産党へと改組レオン・ブルム始めとしてコミンテルン加盟反対する少数派社会民主主義者たちはかろうじてSFIO党名維持した。しかしSFIOその後順調に党勢回復当初対立していた共産党とも協力関係を結び1936年にはブルムによる人民戦線政権発足したその後ナチス・ドイツによる占領ヴィシー政権による支配時期多くSFIO党員レジスタンス運動活躍しその実績を背景第二次世界大戦後初期フランス政治一翼担った1950年代末に始まるド=ゴール時代において、SFIO当初ド=ゴール協力したものの、程無くして対立深めて下野しギー・モレ書記長のもとド=ゴール体制下での野党第一党として存在感示した。しかし1968年五月危機直面してSFIO第五共和政に不満を抱く民衆対し左翼側から長期的ヴィジョン提示するだけの力量が無いことが露呈し直後総選挙大敗した党内からは社会主義調査センターCERES)など左派理論家集団中心に党組織大胆に再編成するべきであるとの意見噴出しSFIOはついに従来の党を解消しSFIO中心にする左派連合民主社会左翼連盟」(FGDS)を母体にして新たな社会党移行することを決定した

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