旧社の経営破綻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/07 14:18 UTC 版)
業績が悪化したイースタン航空は賃金カットを提示し、また倒産したブラニフ航空から南アメリカ路線を買収して立て直しを図った。しかし、賃金カットには失敗し、南アメリカ路線も収益拡大には寄与せず、さらに、追い打ちをかけるかのように、1985年1月1日にイースタン航空980便墜落事故まで発生した。 このため、1986年2月にイースタン航空の経営陣は同社をテキサス・インターナショナルに売却することを決定した。テキサス・インターナショナルを率いるフランク・ロレンツォは、経営危機に陥っていたコンチネンタル航空を連邦倒産法第11章適用という荒療治で再生した実績を持っており、経営陣はイースタン航空をコンチネンタル航空のように再生してくれることを期待したのである。しかし、そのロレンツォでもイースタン航空の再建はできなかった。ロレンツォは賃金カットを試みたが、労働組合はストライキで対抗し、同社の業績は悪化するばかりであった。 1989年、ロレンツォはついに連邦倒産法第11章の適用を申請し、一部の機材や空港施設、路線を4億5千万ドルで売却。ドル箱路線だったニューヨーク - ワシントンD.C.やボストンとの間のシャトル便も「不動産王」と呼ばれる億万長者のドナルド・トランプ(後の第45代合衆国大統領)へ3億5千万ドルで売却してしまった。しかし、これだけ資産を売却したにもかかわらず、1989年の業績は8億ドルもの赤字に終わった。 こうして、かつてはアメリカの4大航空会社の一つと言われ、シャトル便の開設やエアバス機の導入などで世界の民間航空業界に大きな影響を与えたイースタン航空も、この頃にはその栄光は見る影も無くなり、ローカル航空会社へと転落してしまっていた。 旧社最後の社長となったマーチン・R・シャグルは、サービス向上を図り、顧客を呼び戻すためのキャンペーンを展開したが、結果は5億ドルの赤字に終わってしまった。1991年1月に湾岸戦争が始まり、航空需要が落ち込むと、もうイースタン航空にはそれに耐える力は残っていなかった。1991年1月18日の深夜をもって、初代イースタン航空は全ての運航を停止し、その歴史に幕を閉じた。
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