党勢衰退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 02:52 UTC 版)
しかし、源泉徴収でサラリーマンから徴税する制度の根本は、効率が高いため変えられなかった。確定申告に統一することはもちろん、その拡大も事実上果たせなかった。加えて一口にサラリーマンといっても、高額所得者と低額所得者、大企業社員と中小企業社員の利害は必ずしも一致せず、また党自体も野党的立場をとりながらも大企業から積極的に政治献金を募るなど自民党的体質を示し、社会党には「保守」、自民党には「革新」と批判されるなど、政治的立場は不安定であった。また新党のインパクトが薄れ、支持が落ちていったことも衰退の理由だった。 1989年の参院選の直前に八木が離党、さらに元副代表の佐々木清成が同名の政党で立候補の動きを見せる(結局、佐々木らは立候補を断念)など分裂状態になり、折りしも社会党の土井ブームの煽りを受け、現職の青木代表を含め全員落選の憂き目を見た。落選した青木に代わり平野が党代表になるものの、翌年に平野も自民党に移籍、国政の議席を失ったが、元摂津市長の井上信也(衆議院議員井上一成の弟)を中心に活動を続けた。
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