党勢の衰え(1969–1987)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 09:36 UTC 版)
「イタリア社会運動」の記事における「党勢の衰え(1969–1987)」の解説
だが、1970年代から1980年代の期間は同時に冷戦が最も加熱した時期であり、またイタリア共産党が勢力を強めたことから、これに対抗してネオ・ファシスト系の団体もまた盛んに非合法活動を繰り広げた時代でもあった。 成立経緯から距離を取っていたとはいえ、国内外のファシスト勢力を基盤とするMSIはしばしばそれらの事件との関与を指摘された。1980年には戦後イタリア最悪の爆破テロ事件とも言われるボローニャ駅爆破テロ事件が発生、ネオ・ファシスト系テロ組織NAR(en:Nuclei Armati Rivoluzionari)やSISMI(イタリア政府諜報機関)の高官が逮捕されたが、この事件にMSI幹部でかつ非合法組織の「ロッジP2」の代表を務めていたリーチオ・ジェッリが含まれていた事に世間に大きな批判を寄せた。 このような事件やスキャンダルを受けて急速に騰勢が衰えたことから、アルミランテは党の抜本的な改革が必要だと感じる様になった。既に老齢になっていたアルミランテは党青年団「若き前進」の全国指導者を務めるなど、自らの政治的後継として目を掛けていたジャンフランコ・フィーニに白羽の矢を立てた。
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